読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

上村忠男『ヴィーコ 学問の起源へ』(2009, 中公新書)

ヴィーコの『新しい学』(原書 1725, 中公文庫 2018)の日本語訳者によるヴィーコ啓蒙書。すこし学問寄りの情報が満載の新書。著者自身の学究の人生もひかえめに開示されていて、導き手としての役割は万全。フッサール(1859-1938)の『ヨーロッパ的諸科学の危機と超越論的現象学』(1936)などで語られる「生活世界の学」とヴィーコの『新しい学』との類似性をヴィーコ研究のコアに据える姿勢は、とりあわせの驚きとともに新鮮な空気を与えてくれる鮮烈さを感じさせてくれる。

 

【方法としてのクリティカとトピカ】

ヴィーコにおいては、「クリティカ(critica)」というのは、広い意味では、真偽の判断にかかわる術(ars iudicandi)を教える科目のことを指している。そして、それは、論拠の在り場所にかかわる術(ars inveniendi)を教える科目として古来弁論家の養成にとって必須の科目と考えられてきた「トピカ(topica)」と対をなして用いられる。
(第1章「ヴィーコの懐疑」p16)

 

フッサールとの親近性】

ヴィーコが「人類の共通感覚」のなかから取り出そうとした諸国民に共通の「知性の内なる辞書」、そしてこれにもとづいて導き出されるという「永遠の理念的な歴史」とは、ここ(引用者注:フッサール幾何学の起源」)でフッサールが<意味の本質的に普遍的な構造的アプリオリ>と呼んでいるものに相当するのではないだろうか。ヴィーコもまた、そのような「永遠の理念的な歴史」のデザインを手に入れることによってのみ、文献学、すなわち、諸民族の言語、習俗、平時および戦時における事績についての歴史のすべてなど、人間の自由な選択意志に依存することがらにかんする学問の意味においての知識(scienza)の形式にまで引き戻すことは可能になると考えていたのである。
(第6章「諸国民の創建者にかんする新しい批判術」p157) 

 

詩的言語の創出と運用の姿を語ったヴィーコの著作の上で孤独な読者が旋回するための浮力を与えてくれるありがたい上昇気流。

 

目次:
第1章 ヴィーコの懐疑
第2章 自然学者ヴィーコ
第3章 真なるものと作られたものとは置換される
第4章 諸国民の世界は人間たちによって作られた
第5章 ヴィーコキリスト教プラトニズム
第6章 諸国民の創建者にかんする新しい批判術
第7章 最初の諸国民は詩的記号によって語っていた
第8章 バロックヴィーコ

新しい学(上)|文庫|中央公論新社

新しい学(下)|文庫|中央公論新社

 

ジャンバッティスタ・ヴィーコ
1668 - 1744
上村忠男
1941 -