読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

アントニオ・ネグリ『スピノザとわたしたち』(原書2010, 訳書2011)

『野生のアノマリー スピノザにおける力能と権力』(1981)から30年たったところで出版されたネグリスピノザ論集。会議での発表用テキスト四本に序章を追加した著作。口頭発表用の原稿とあって、味わいが濃いわりに、理解もしやすい。聴衆や読者の好奇心をくすぐるまき餌のまきかたがうまい。ハイデッガースピノザかと言われれば、私はスピノザだけれど、改めてどちらかと問われれば、再考のためにもハイデッガーはまた別室で時間をとってお付き合いさせていただきたいと思ってしまう。

スピノザは体系的にハイデッガーを転倒させます。(中略)同時に、存在の方向性もまた分かれます――ハイデッガーにとっては無へ、スピノザにとっては充溢へ。空虚に心揺れるハイデッガーのあいまいさが、現在を充溢性と見なすスピノザ的な緊張関係によって解消されるのです。
(第2章「力能と存在論——ハイデッガースピノザか」p102)

時代を逆転してスピノザハイデッガーを転倒させるというようなことを書かれると、思考がゆすぶられるような気がして、私も追加の人物を投入してみたくなる。どちらかといえばスピノザ寄りの東洋人でだいぶ時代をさかのぼる人、弘法大師空海(774-835)。山川草木悉有仏性の天台本覚思想をさらに更新し、大日如来が遍満している世界を説き即身成仏を説いた密教の人。無限の概念の厳しさというよりは無際限の概念のゆるさに傾いているような印象もわいてくるが、存在のまぎれもない確実さを担保してくれている思想であるところはスピノザとも通じ合っているのではないかと思う。

力能の構成プロセスは連続的な統合と制度的な構築の一連の流れを通じて展開する。つまりコナトゥスにはじまって欲望に至り、ついにの理性的な表現に至るのである。つまりこのプロセスの中核に欲望があるわけだ。欲求appetitusという生理的な規定と、コナトゥスという身体性とが、社会的な経験において組織化されたことで想像力を生み出すようになるのは、この瞬間である。想像力は諸々の制度の構成の先取りであり、理性を花ひらかせ、またその展開を構造化する力能でもある。より正確に言えば、理性を表現するのである。ジル・ドゥルーズスピノザの思想のことを的確にも「表現の哲学」と呼んでいる。諸々の個別なものが抵抗から<共>communへと向かうのは想像力によってなのである。
(序章「スピノザとわたしたち」p25 斜体は実際は傍点)

空海スピノザネグリを読んだら、どのように訳し、どのように解釈するだろうか? 千二百年の時空を超えて、新たな著作を記してもらいたいという想いを持ちながら、日々非力ながらも自分で読むことをすすめていく。


目次:
序章  スピノザとわたしたち
第1章 スピノザ——内在性と民主制の異端
第2章 力能と存在論——ハイデッガースピノザ
第3章 スピノザ政治思想の展開におけるマルチチュードと個別性
第4章 スピノザ——情動の社会学
解説「成功への希望は反乱の傾向を生じさせる」(信友建志

 

アントニオ・ネグリ
1933 -
バールーフ・デ・スピノザ
1632 - 1677
信友建志
1973 -