読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ピエール・ロザンヴァロン「民主主義の希望」(朝日新書『世界の未来 ギャンブル化する民主主義、帝国化する資本』より)

主権者といわれても、人並みに税金払っているよ、くらいの感覚しかない。日本の行政のサービスが劇的に変わらないことにたいする信任を都度出しているというところなのだろうか。

理想的な民主主義では、主権者は投票日1日だけではなく、つねに主権者であるべきです。(中略)人民とはつねに目を開いて監視する者なのです。単に有権者、「代表される」者にとどまらないで、つねに「統治される」者として向き合う必要があります。
(「投票日以外も主権者であれ」p114-p116)

選挙での投票は、期待通りに行動してくれそうな人への「信頼」を表明すること。カウンター・デモクラシーは「不信」感を通して、制度に一種の試験をすること。民主主義は2本の足で立つ。一つは「信頼」、もう一つは「不信」。前者を代表性が、後者をカウンター・デモクラシーが引き受けるのです。
(「政治に思いを届けるには」p110)

消費者やメディア視聴者としてなら購入しないという一番消極的な態度が一番の影響力をもつ。民主主義も消極性がもっと機能するようだと参加のしがいもあるんだけんどなあ、と考えるのは贅沢か。
とりあえず統治されてるけど、とりえあずだから・・・、代替案も考えといてよね・・・、なんていうのは、コストがかかりすぎるか。

 

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ピエール・ロザンヴァロン
1948 -
大野博人
1955 -