読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ヤーコプ・ブルクハルト『世界史的考察』(1868-72の講義草稿 原書1905 ちくま学芸文庫2009)

歴史家は各時代の特徴と制約を浮き上がらせる能力を磨いている専門家で、その言説は冷静に聞き入れておく価値がある。ブルクハルトはスイスのすぐれた歴史学者で、現行のスイス・フランの最高額の紙幣の肖像にも用いられている。ニーチェとも深い親交があった人物。

 あらゆるビジネスが大規模に増大するに及んで、今や営利追及者の意見は以下のようなものとなる。すなわち一方では、国家はひとえに営利追及者の利害、および営利追及者と性質を同じくする知識階級を守る外皮にして、保証人たるべきであるとする、こうした利害や知識階級は世界の今現在における、自明の主目標と見なされているからである。こればかりか営利追及者は、この自分と性質を同じくする知識階級が立憲政体的制度によって政権の舵を握ることを望みさえする。また、一方で、営利追及者は立憲政体的自由の実施にたいして深い不信感を抱いているが、これは、こうした自由はどのみちむしろ否定的力によって食い物にされるかもしれないという意味で不信感を抱いているのである。
 それというのも、こうしたことと並んで、一部はフランス革命の全般に見られた典型的現われとして、また一部は近代の改革要求の典型的現われとして、いわゆる民主主義が影響を及ぼしているからである。すなわち、この民主主義は、幾千ものさまざまな源泉が集まって一つになった、その信奉者の層によってきわめて異なっている世界観なのであるが、ただつぎの一点において首尾一貫している。すなわち、民主主義にとっては各個人に及ぶ国家権力はいくら大きくても決して大きすぎるということはない、その結果、民主主義は国家と社会とのあいだにある境界をなくし、社会が先の見通しとしてはたぶんやらないと思われるすべてのことを国家に期待するが、しかし一切のことをたえず議論の対象にできるような、またそういう動きが可能であるような状態に保っておこうとし、ついには個々の特権階級にたいして、労働と生存の特権が当然民衆にあたえられるべきであるとして、これを要求するという、このことである。(第4章「歴史における危機」p339-341)

ブルクハルトの講義から150年たった今、資本家ではなくとも、営利追及者という立ち位置で活動している個人としてカテゴライズされる人間のひとりの立場から、まだまだ有効な言説だと思った。「信奉者の層によってきわめて異なっている世界観」のなかで、さまざまに現われる「近代の改革要求」を「国家権力」が大きくなりすぎることなく調整し、現実化していくのは、やはり面倒くさくて難しいことだ。

 

全6章、460ページ。文化・芸術に対しての高度な言及など、ひとつの印象には収まり切らない豊かさ深さを味わえる一冊。

 

目次:
第1章 序論
第2章 三つの潜在力について
第3章 相互に制約を受けている六つの状態についての考察
第4章 歴史における危機
第5章 個人と普遍(歴史における偉大さ)
第6章 世界史における幸と不幸について

筑摩書房 世界史的考察 / ブルクハルト 著, 新井 靖一 著

ヤーコプ・ブルクハルト
1818 -1897
新井靖一
1929 -

フリードリヒ・ニーチェ

1844 - 1900