読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

テッサ・モーリス-スズキ『自由を耐え忍ぶ』(2004 岩波書店)

岩波の『世界』の連載(2004.01-08)をまとめた日本向けの書籍。

テッサ・モーリス-スズキはイギリス生まれ、オーストラリア在住の日本経済史・思想史の研究者。

自由主義経済下の世界を耐え忍びながらオルタナティブを考えるという趣旨の本。ネグリのように「マルチチュード」といった求心力のある言葉は提示しないが、ハンナ・アーレントを想起させる全体主義的圧力に同調しない小さな一歩の重要性をピックアップしているところが著者の本領かと考える。

本文にもまして「あとがき」の熱量が凄い。

 普段は見つけることができない政治的なはけ口や恐怖やフラストレーションを、人々は憎悪によって代替し、表現できる。それゆえ憎悪の共有と高揚はますます増大するのだろう、とバウマン(引用者注:ジグムント・バウマン)は述べた。この意味において、憎悪およびヒステリーの政治学は、私が本書で論じた政治的無力感と深く結合したものである。自由を謳歌せよ、自己責任を負え、といかに強化されようとも、多くの人々は、自分たちが理解も管理もできない力の支配下にあることを知っている。
 同じく、多くの人々は、不公正で欠陥に満ちた社会に生きていることを自覚しているが、その社会を変革するための貢献の手段を見出せないでいる。何もすることの出来ないまま不公正な社会を生きるには、その対応として次の二つの選択肢を採用する。一方は、世界を変えることの出来ない自分自身の無力さを嫌悪することであり、他方は、外部に標的を定めて感情を表出することである。そして、不公正の原因が特定できない時、この怒りの破壊的な力は、壊しやすいものに向くことになる。
(「あとがき」p206-207)

自分にも他人にも破壊的な力を向けないように、無力さを嫌悪せずに、夢に野を駆け巡らせてあげて、半分成仏させてあげること。残りの半分は衆生で藻掻き、修行の有難さを体感していくこと。日本の伝統的にはこのくらいの心構えがちょうどいいのではないかと思う。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉

ソ連崩壊・冷戦終結第二次世界大戦終結の1945年から46年たった1991年。ポスト冷戦時代から何らかの新たな時代に移行するのに同じくらいの日時を要するとすると、次の時代の始まりは2037年ころ。現下言論界で話題になっているものと言えば、乗る乗らないはひとまず置いておいて、シンギュラリティの世界。それまでは、ポスト冷戦後の「自由」を耐え忍び生きる世界がとりあえずは支配的なのだろうと腹をくくっておいた方が無難かもしれない。「知性の悲観主義、意志の楽観主義」(アントニオ・グラムシ)を心に、おとといを振りかえりつつ、明後日の方向を探るくらいの気持ちを日常のなかに割りこませて過ごせればいいなと個人的には思っている。誰が読むんだろうという本を自分が読んでしまっている現在を、自由主義経済のなかで地道に保護してあげつづけていこうという個人的秘密結社の世界。エリック・サティの自分だけがメンバーの薔薇十字団のような活動が秘かな目標。「家具の音楽」に相当するような文章が少しでも書けたなら、本望。


目次:
第一章 劣化する民主主義
第二章 暴走する市場
第三章 自由とパノプティコン
第四章 知の囲い込み
第五章 風変わりな資産
第六章 戦争の民営化
第七章 自由の再生
第八章 民主主義の再考

www.iwanami.co.jp

テッサ・モーリス-スズキ
1951 -
辛島理人
1975 -