読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

竹村牧男『空海の哲学』(2020, 講談社現代新書)

唯識思想や華厳思想が専門の著者が宗門を超えて空海の「即身成仏」をマテリアリスティックに読み解くしびれる一冊。

この環境世界も仏国土そのものであるのが実情なのである。じつに「草木国土、悉皆成仏」である。この句の意味は、「草木国土も悉皆、未来に成仏する」というのではない、「草木国土も悉皆、すでに成仏している」という思想と受け止めるべきものである。日本天台宗に現れたこの句の思想と同様なものを、すでに空海は表明していたのであった。
人間は本来、仏である。その自己は本来、仏国土のなかにいて、その仏国土には、諸仏諸尊の法然仏国土が(唯識ゆえに)融け合っており、他のあらゆる衆生等の器世間もそこに溶けこんでいるのである。我々が見る、身像と印契を主体とした曼荼羅絵図のなかには、じつはそうした、自己とあらゆる他者の国土(器世間)の重層的な融合が背景にあることを思うべきであろう。
(第四章「空海密教思想」p141-142)

すべてが仏で、すでに成仏していると捉えるには、人間界や一個人として不具合を感じる事象が多くあるものの、知恵をもってまずは落ち着けと、現代にまでつづく仏教思想は言っているのではないかと思う。空海が活動した九世紀の知と二十一世紀の知では大分違いがあるものの、知をベースに困難を乗り越えるべきであるということには変わりはないだろう。

当時の最新鋭の知と技術で満濃池を作り、東寺の立体曼荼羅空海が作ったようなレベルで、現代の事業活動や制作活動も行われるべきであろう。

『中論』は、あらゆるタイプの文章を吟味・分析して、主語をたてそれに述語するありかたでは事実から遊離してしまうことを解明している。文章のあり方での言語が解体されたところ(戯論寂滅 けろんじゃくめつ)に真実を見ようとするものである。
(二章「密教に至る仏教史――顕教から密教へ」p62)

『中論』は二~三世紀の最新知。


目次:
はじめに 今、なぜ空海の哲学なのか
第一章 空海の生涯と著作
第二章 密教に至る仏教史――顕教から密教
第三章 仏教における「即身成仏」の思想史
第四章 空海密教思想
第五章 空海の即身成仏思想
第六章 「即身成仏」の教証――『即身成仏義』を読む 一
第七章 六大無礙の真意――『即身成仏義』を読む 二
第八章 三密加持の実相――『即身成仏義』を読む 三
第九章 曼荼羅世界の風光――『即身成仏義』を読む 四
第一〇章 『即身成仏義』の本旨 

 

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竹村牧男
1948 -
空海
774 - 835