読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

鬼束ちひろ「Tiger in my Love」(『Sugar High』2002収録)

いまは少し落ち着いたが、本日六時間ばかりエンドレスで聴きながらずっとウルウル涙目状態が持続していた。

日本の歌姫は、基本的にベタニアのマルタのポジションにいるのではないかという想いが強い。日本には絶対的な聖性をまとった神の子イエスはいないので、ポンコツなイエス(いいところ光源氏)とそれに絡んでいるベタニアのマリアくらいしかいない。それを横目で見ながら世話をしてしまう健気な姉さん的な人物が、むくわれない自身の身を歎き詠嘆してしまうというのが日本的な歌のありかたなのではないかとおもってしまう。中島みゆきとかそういう位置でしょう。で、声に出して責めたりしない代わりに、心のなかの言語能力は異様に高く、文字として書き残すことは決して忘れない。それをしなければ自分のなかの獣、あるいは聖なるものが静まらないから。
その言葉に、近隣にいる無力なオタク男子と小心女子が、自己像を寄せてしまい、縮小再生産の空気と、昇華の場を丁寧に作っていく。自発的な供養のシステムづくりだと思う。悪いことではない。

 

結局このしなやかな心にかなうものなんて無い

私を土足で荒らしても 余白など無くても
全てはこの肌に触れる事さえ出来ない
貴方には決して見えたりしないでしょう?

Tiger in my Love

 

自分では書き得ないこの5行に、私の”Tiger in my Mob”がかすかに共振する。神なしの環境で、それでも共通使用している言語記号を介して、個別のアトムが共振する、無神論モナドジーの交歓のイメージ。

テレワーク時にはかなり音楽に助けられていた。どちらかというとアナログ派の私は在庫CDに頼っていたが、さすがに新しいものを聴きたくなって4か月ぶりに少し遠出をしてみたところ、歌なしのもので手ごろなものがなかったので、目についた鬼束ちひろの『Sugar High』を購入したら、はまってしまって半日放心していたという話。

 

鬼束ちひろ
1980 -