読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

赤攝也『集合論入門』(培風館 1957, ちくま学芸文庫 2014)

数学が趣味ではない文系人間でも、集合論は興味深く接することができる領域だと思う。無限と自己言及に関する議論についての感度が高くなる気がするので、怖がらずに四、五時間付き合ってみるのも経験値の観点からも損はない。また、ぜんぶ分からなくても、実生活で武器として使うことがなくても、厳密に語られる事象に宿る美しさと奇妙さを感じ取ることができる。美学、詩学に関心のある人も、記号を専門に扱う人の手際に学ぶべき点を見出すことができると思う。

空集合のΦと、空集合のΦのみを元とする集合{Φ}とは、集合として全く違ったものである。なぜならば、Φは定義によって元を一つも持たないが、集合{Φ}はΦなる元をもっているからである。
(第1編「集合の代数」Ⅱ。集合の演算 §7. 集合族 p51)

 

さて、集合論におけるもっとも重要な対象は、いわゆる”無限集合”であった。それゆえ、集合論の公理的建設に際しても、必然的に、すくなくとも一つは無限集合の存在することを、公理として掲げておかなくてはならない。それには、そのいかなる元cをとっても、それから得られる列
   {C}, {{C}}, …, {{…{C}…}}, …
の各項が、すべてまたその元となっているような集合のあることを要請すれば十分である。
(付録「集合論の公理」 p252)

散文詩(たとえば岩成達也の詩)と何が違うのか、ぼんやりと考えながら読んだ。いちばんの違いは適用範囲あるいは有効範囲の明確さ、厳密さということになるだろうか。

集合論にかぎらず、あらゆる数学の理論は、幾つかの”公理”を列挙し、それのみを根拠として建設されるのが本当のあり方である。この方法については、読者は、高等学校の”幾何学”の課程において、よく学んだところであろう。
数学でこの方法がとられるのは、問題になっている理論の内部で、用いて良いことと良くないことをはっきりと区別し、議論をできるだけ”厳密”にしようという目的のために他ならない。
(むすび「集合論の公理」 p209)

 

詩の適用範囲は曖昧だが、逆にそこが魅力であったりするので、注意しながら楽しむ必要がある。

 

目次:

はしがき
てびき
第1編 集合の代数
 集合の概念
 集合の演算
 関数と直積
第2編 濃度
 濃度の概念
 濃度の大小
 濃度の和
 濃度の積
 濃度の巾
第3編 順序数
 順序
 整列集合
 順序数
 整列可能定理
むすび
付録

 

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赤攝也
1926 - 2019
ゲオルク・フェルディナント・ルートヴィッヒ・フィリップ・カントール
1845 - 1918
岩成達也
1933 -