読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

デレク・ジャーマン『ヴィトゲンシュタイン』(映画 1993 75分)

ヴィトゲンシュタインの言葉に接した後は、記号に触れていると感じた場合のざわつきがひどい。意識に上ってくる言語を聴くという行為にさえ、いつもとは違う解釈のフィルターを通しているような違和感が続く。言語記号に対する構えが無意識に立ちあがり、言葉が粒だってきて物質感が強くなるのだ。気になって仕方がないので、鎮魂になるかも知れないと思い、ひさかたぶりにデレク・ジャーマンの映画『ヴィトゲンシュタイン』をDVDで鑑賞した。

 

結果、どうなったかというと、ヴィトゲンシュタインは異質な世界を生きた異人ということで少し諦めがついたというのが正直な感想だ。平均的な人物ではない。とてつもないブルジョワの家庭の子息として生まれ、知性にすぐれ、性的にはマイノリティ、精神的には病的気質がうかがわれる。没個性的な個体として社会のなかに沈殿するような人間との差異は明らかだ。どちらが生きやすいということは究極的にはないのだろうが、やはり別世界の住人だという認識ができたところで、あきらめがつくとともに、あらためて交流させていただきたいという想いが湧いた。一個人の印象としてはヴィトゲンシュタインの気質にはゴッホが重なる。生まれが良く、理系気質で、ケンブリッジというそれなりに肌に合う環境に恵まれて、天寿をまっとうできた奇跡的な一生があったが、ちょっとしたきっかけで自裁、活動中断というゴッホ的な人生の可能性もかなりの確率であったはずだ。そうならずに、我々は彼の哲学的業績に触れることができている。そのことに感謝しなければならない。

 

テリー・イーグルトンが脚本に参加した本作品は、やはり、ヴィトゲンシュタインの言葉・論理が主役で、異語としてのヴィトゲンシュタインの生のみちゆきが容赦なくせまってくるのだが、映像作品に固有の救い・美しさというものがあって、そこで鑑賞者は大きく息をつくことができる。ロジックの厳しさを包摂するような、美しく深い漆黒の背景。映画の空間以外ではなかなか出会うことのない深く濃い奥行きのある空間。前面で演じられる人間の劇とともに、劇空間を支える濃密な黒さを感じることができる。映画の映像を見て、映画の言葉を聞いた、という感想をもつことができる75分。


デレク・ジャーマン
1942 - 1994
ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタイン
1889 - 1951