読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

今道友信『エコエティカ ―生圏倫理学入門―』(講談社学術文庫 1990)

エコエティカ(eco-ethica)とは、人間の新しい生活圏における新しい倫理学、「生圏道徳学」「生圏倫理学」という著者が1960年代に提示した現代に必要とされる哲学。高度技術社会、産業社会の中で失われた徳目、審美眼、品格、聖性といったものをもう一度取り戻そうとする試み。

機械主導型の行為が倫理的であらねばならないとすれば、少なくとも技術社会における機械は、その中に倫理的原理を含まなくてはならないはずです。しかし、機械が可能にするのは、効率の増進と便利の増大です。それは、同一なるものの製作の量的拡大と作製過程の省力化ですが、一語をもっていえば時間の短縮だけです。人間的意識が成立する場として、時間性を考えなければならないとすれば、機械技術の世界というのは時間性を圧縮し、したがって意識を圧縮し、それゆえ、人間的意識の中心としての倫理的思考を圧縮していく構造をもつはずです。
現代は、こうして倫理を考えない世界になろうとしています。
(第一章「エコエティカとは何か」p28-29)

 

現代に対する鋭い考察をしたのちに、著者は効率優先の世界に抗える時熟や時を重ねた上につくりあげられた専門性を持ち合わせた審美眼の復権、拡大の重要性を提起する。個人的には、倫理性を評価するコミュニティの報酬系がうまく機能していなければ、徳目の樹立や倫理観の復権なんて正直無理でしょ、大伴家持菅原道真なんかの時代とは違うもの、とは思うものの、何もないというのもまた居心地は悪い。家や一族というような意識が崩れてしまった今、伝統芸道の世界や政治的パーティや宗門、学問サークルなどに属していないような場合は、自分の人生のスケールを超えて倫理性を考えることもなかなかできない。資源の不足や排出物処理能力の限界から逆説的に倫理性が求められる可能性は高いが、純粋プラス方向での世間的倫理性などは簡単に想像できるものではない。「時熟」とか言われても、どの方向性で人生熟そうとしているのか、少なくとも私にははっきりとした答えはない。ダニやクモのような感覚で効率優先の世界に多少抗いながら日々を生きるのが精々といったところだろうか。


なんだかけなしているようになってしまったが、現代の技術社会を描き出す文章は魅力的だ。状況確認に力を貸してくれる一冊。ポール・ヴィリリオなんかと合わせて読むといいかもしれない。


目次:
第一章 エコエティカとは何か――序論的考察――
第二章 倫理の復権
   1.自然や物に対する人間の責任
   2.人間のエコロジカルな変化
   3.よく生きるための倫理
   4.倫理はなぜ忘れられるのか
   5.技能動物化する人間
   6.身近なエコエティカ
第三章 新しい徳目論
   1.倫理の具体像としての徳
   2.徳目創造の歴史
   3.新しい徳目の創造
第四章 道徳と論理
   1.日本人の道徳意識
   2.技術連関と道徳意識の変化
   3.行為の論理構造
   4.新しい形の技術的抽象
   5.科学技術と人間の自己規正
   6.火のミュートス
第五章 人間と自然
   1.原始自然の中の人間の位置
   2.自然と技術連関
   3.自然に学ぶ
 

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今道友信
1922 - 2012