読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

小川環樹・木田章義 注解『千文字』(岩波文庫 1997)

重複なしの漢字一千字を四字一句の250の韻文に編纂した文字学習用の一篇。使用されている故事成語の出典等を注解した李暹の「千字文注」の訳をそえて二句ごと紹介する体裁。中国古代よりの徳目である忠孝に関連するエピソードにもたくさん触れられる。

そもそも学問とは身を立てる根本であり、文章は仕官の基礎である。それゆえ、まず天を開き、地を立てる。三曜(さんよう 日・月・星)がそこから生まれる。二儀(にぎ 天と地)ができてしまえば、四季の秩序も立つ。
夫学者蓋立身之本、文者乃入官之始也。是以開天立地、三曜於是生焉。二儀既立、四節以之由序。
(李暹「註千文字序」p356)

昔も今も「仕官」、すなわち官から仕事を依頼されるくらいになってはじめて学問や文章で「出世」したということになるのだろう。漢詩の世界は仕官に失敗したり、官僚になった後に左遷されたりの憂いがおおいけれども、それでも科挙合格のレベルの能力はみんなそろえていた。遠い世界だけれど、憧れでもそのレベルを視界に入れていないと、学問も文章も身についてはいかないんだろう。

 

蓋此身髪 カイシとけだしこの シンハツのみとかみは、
四大五常 シタイのよつのえだも ゴシヤウのいつゝののりあり。

そもそも此の(われわれの)身体髪膚(しんたいはっぷ)は、
地水火風の四大(しだい)よりなり、仁義礼智信の五つの徳をそなえている。

(37-38句, p68)

 

漢文につけられた日本語の読み(「カイシとけだしこの」など)は「文選読み」というもので、日本人はこういった「異物」の取り込み方の技術が非常にうまい(逆になんでも日本化してしまうといって非難される場合もままあるけれど)。

 

性静情逸 セイセイとたましひしづかなる時は セイイツとこゝろやすし。
心動神疲 シムトウとこゝろうごく時は シンヒとたましひつかる
守真志満 シユシンとまことをまぼれば シマンとこゝろざしみつ。
逐物意移 チクブツとものにしたがへば イイとこゝろうつる。

本性が落ちついている時には、心は穏やかで、
心が動くときには、精神は疲れる。
自然の道を守れば、志は満たされ、
物を追い求めれば、心もそれにつれて変ってゆく。

(97-100句, p165-167)

 

韻は基本的に偶数句脚韻になっている。上記引用部では「疲」と「移」。ちなみに引用の漢字は実際は全部旧字体

「千文字」は書道の世界ではよく使われるようで、繰り返しの手習いの中で、中国古典の世界にも触れられる仕組みになっていて、学習という面でも効率がよさそうだ。こういうことは年齢的にどんどん手遅れになりつつある中で、ちょっとした悲哀とともに気づいていくことが多い。

小川環樹・木田章義 注解『千文字』(岩波文庫 1997)
https://www.iwanami.co.jp/book/b246279.html

 

周興嗣
470 – 521
李暹

小川環樹
1910 - 1993
木田章義
1950 -