読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

松浦寿輝『波打ち際に生きる』(羽鳥書店 2013)

松浦寿輝東京大学退官記念講演と最終講義をまとめた一冊。
読後に襲ってきたのは不安感。到底この人の域には行きつけないのに、なに読んでいるんだろうという無力感みたいなものが湧いてきた。才能があるのに何故日本では輝いて幸福そうには見えないのかとても残念に思う。でも、こうしたときは慌ててはいけない。よるべなさのなかをただようにまかせて、気が散るのを待つ。不安に疲れて、切り替えのスイッチが弛んでくれるのをまつ。そもそも松浦寿輝のいつもながらのうらぶれた体裁をとった語りの戦略が発動しているだけかもしれないのだ。

精神の波打ち際で、あるいつまでも解消しがたい心もとなさ、よるべなさに耐えながら、世界への、また自分自身への憐憫を言葉にしようと努めつづけるということ――書くこととはわたしにとって、そういう行為だったのっではないか。それは言葉に対する憐憫であり、イメージに対する憐憫であり、ひとことで言えば記号への憐憫です。「記号への憐憫」――この言葉こそまさに、私がこれまで書いてきた三十数冊の書物の全体を集約するエンブレムたりうるかもしれません。(「波打ち際に生きる──研究と創作のはざまで」p11-12)

憐憫を支えるしなやかな強さ。途切れないはにかみとつつましさ。しかし、自分の楽しみを商品としてまとめ上げる松浦寿輝の活力を見ないと、いいように翻弄されて波打ち際にさらっていかれ知らないうちに置いてけぼりにされる。あやしい世界の妖気にあてられたままひとりぼっちになる。どれだけの憐憫の対象としての記号のストックがあるのか、振りかえるとおそろしい。読者たる自分もあえてそこに引きずり込まれるように読み進んでいくという倒錯はあるにしても、ずっと浸っていられるほどの感性や嗜好までは残念ながら共有していない。私の中では詩人としての松浦寿輝がいちばん強い存在なので、遅ればせながら退官記念に『afterward』と『吃水都市』をあわせて再読して、今回は距離を置くことにした。

 

目次:
東京大学退官記念講演
  波打ち際に生きる──研究と創作のはざまで
最終講義
  Murdering the Time──時間と近代

www.hatorishoten.co.jp

 

松浦寿輝
1954 -