読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジェイムズ・ジョイス『ダブリナーズ』(原書1914, 柳瀬尚紀訳 2009 新潮文庫)

読み通して残る印象および感想は、「これらの不如意、どう処理したらいいものか」という表現対象に対しての困惑と、表現対象を刻印させるジョイスの描写表現能力に対する敬意と憧れ。困惑は描かれたダブリンの冷え冷えとした重さ、暗さへのある種の近づきがたさにある。1905年から出版を試みられているこの作品、日本の作品の出版状況と比較してみると以下のようになる。

 

夏目漱石吾輩は猫である』(1905)
夏目漱石『明暗』(1916)
島崎藤村『破戒』(1906)
田山花袋『蒲団』(1907)
石川啄木『一握の砂』(1910)
石川啄木『悲しき玩具』(1912)
斎藤茂吉『赤光』(1913)
高村光太郎『道程』(1914)

 

同年誕生者には次のような人たちがいる。
A・A・ミルン、小説家(~1956)
ヴァージニア・ウルフ、小説家(~1941)
ジョルジュ・ブラック、画家(~1963)
斎藤茂吉歌人精神科医(~1953)
種田山頭火俳人(~1940)

 

『ダブリナーズ』のダブリンは路面電車が走り電化の端緒に立っているが、自動車よりも馬車、電灯よりもランプ、まだラジオの放送も始まっていない、家にある娯楽といえばちょっとした本や詩集くらいの、とくに拡がりはないが個々人への抑圧はいたるところにある変わり映えのしない固定した閉じた家庭が中心の世界。思うようにいかない人生行路のなかでアルコールに逃げる経路は100年たった今でもほとんど変わらないけれども、共同体が崩壊した後の没落したり転倒したりした人間の分類の地平には、個人として開放はされてはいるが、すぐに病名を付けられ明示的に治療対象とされてしまう逃げ場のない救いようのなさがひろがっていて、暗く閉じこめられた関係性優位の近代黎明期以前の世界とはかなり色調を異にしてきている。軽すぎて地に足が着きづらい現代とは違った世界に生きる、どちらかといえば存在とその影の密度の濃い人物たちと、どのように付き合えばいいか? 今の時代を生きるものとしては基本的には分からないことが多いものの、分からないなりに丸呑みするという選択肢は読者側責任でいつでも開かれている。出会いのショックはあっても、数日たてばまあ受け入れられないこともない。少し面倒な人たちという視線でダブリナーズに接することは可能になるかと思う。

 

内容については、ウィキペディアほか、いろいろ紹介サイトがあるので、気になる方にはそちらを参照していただくことにして、こちらのサイトでは各作品における作者ジョイスの表現と訳者の訳業の一端を知っていただければと思い、スペースを割いていくこととする。ジョイスの一般的なリアリズムの括りのなかでも勝負できる文学的力量を『ダブリナーズ』の文章は主張してくれていると思う。


The Sisters (姉妹)
老司祭はさっき見たときと同じように棺に静かに横たわり、胸に徒な聖杯をのせたまま、いかめしくて険しい死顔をしているのだ。(24)

 

An Encounter (出会い)
こんなことを言い出すのにびっくりして、僕は思わず男の顔をちらっとうかがった。そのとき、ふたつの暗緑色の目がひくひく動く額の下から僕を見つめているのに出会った。(p40-41)

 

Araby (アラビー)
僕はそこの売り場からすぐには立ち去らずにいた。そこにいても無駄だとはわかっていたけれど、売り場の品物に対する僕の関心がそれだけ本物だと見せかけたかったのだ。(p54)

 

Eveline (エヴリン)
しかし、最近では、彼女を脅すようになり、死んだ母の手前言わなかったことを言うようになってきていた。(p59)

 

After the Race (カーレースが終わって)
朝になったら悔やむだろうと分かっていたけれど、いまは休息が嬉しかった。己の愚行を覆い隠そうとする暗い呆然自失が嬉しかった。(p76)

 

Two Gallants (二人の伊達男)
まだこれからでも、どっかこぢんまりしたねぐらに落着いて幸せに暮らせないこともない、ちょっぴり現生(げんなま)をもってる気のいい単純な娘にひょっくり出くわせば。(p92)

 

The Boarding House (下宿屋)
辛抱強く、ほとんど陽気に、警戒もなく、彼女は待った。いろいろ思い出すことが徐々に将来の希望と夢想に取って代られてゆく。(p110)

 

A Little Cloud (小さな雲)
どんな着想を表現したいかはよく分らなかったが、詩的瞬間が自分に訪れたという思いが彼の内で希望の赤子みたいに命を得た。(p117)

 

Counterparts (写し)
憤怒が募り、喉が渇き、復讐心がわき、自分自身にむかむかし、誰かれかまわずむかむかした(p149)

 

Clay (土くれ)
マライアが笑うと、灰緑色の目が失望を知る恥じらいにキラッと光り、鼻の先が顎の先に届きそうになった(p165-166)

 

A Painful Case (痛ましい事故)
少しずつ、彼は己の思想を彼女の思想にからめていった。(p181)

 

Ivy Day in the Committee Room (委員会室の蔦の日)
ポーヒョン!

 

A mother (母親)
たいした女だよ! と、彼は言った。ああ、たいした女だよ!

 

Grace (恩寵)
マッチを擦り、それを両手で囲いながら、カーナン氏が従順に開いた口をもう一度覗き込んだ。(p258)

 

The Dead (死せるものたち)
焦茶の紙にくるんだ靴を小脇にはさみ、両手でスカートをぬかるみからつまみ上げている。(p359)


後に出来する異常に凝縮された作品にいたる助走としての作者の能力表現見本。柳瀬尚紀が訳すことによって二十一世紀の作品となって存在感を強めている印象がある。

 

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ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイス
1882 - 1941
柳瀬尚紀
1943 - 2016
夏目漱石
1867 - 1916