読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

野口米次郎「想像の魚」(『最後の舞踏』 1922 より )


想像の魚


私の胸に底の知れない谷が流れ、
その上に弓なりの橋が懸る。
橋の袂で私の魂の腐つたやうな蓆を敷き、
しよんぼりと坐つて、通行人を見かけては、
糸の切れた胡弓を鳴らしてゐる。
『穢しい乞食だな』とある人は叫び、
またある人は無言の一瞥さへ与へずに過ぎる。
夜は段々と更け渡つて、
最後の一葉を落した柳の細い枝は
糸のやうに乱れ、(あれ御覧なさい、)
西の空で小首傾けて泣きさうな三日月は、
私の胸の深い谷を覗いて震へてゐる。
いつの間にやら厚ぼたい霧が谷を包み、
夢のやうに流れる谷川の水を、
銀色の魚がいくつも列を組んで上つてくる、
『綺麗な魚だな』と通行人の一人がいふと
『ありや想像といふ魚ぢや、今しばらく上つて行くと、
自然に飛んで仕舞ふよ』と答へる人がある。
ああ、夜はしんしんと更けてゆく。
私の魂は聞き手のないのに係らず、
糸の切れた胡弓を鳴らしてゐる。


(『最後の舞踏』 1922 より )

 

野口米次郎
1875 - 1947
 
野口米次郎の詩 再興活動 No.045