読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

安東次男『芭蕉連句評釈』(講談社学術文庫 上巻1993 下巻1994)

連句は高等遊戯で、人を選ぶ。現代では廃れてしまったのも無理はない。逆に江戸時代によくこんなものが流行ったもんだと、安東次男の評釈書を読みすすむほど感心する。各種文芸と能狂言くらいしか楽しみがなかった分、はまった人はどこまでも深く潜っていく。三井三菱のもとになる江戸トップレベルの経済人たちもこぞって興じた俳諧の世界。電気も電波も生活のなかになかった時代というのは、やはり今の世から見て別世界が持つ怖さや偉大さがある。現代では季節の影響なども普段の生活ではほとんど感じないし、花鳥風月をこよなく愛する日本の文芸は今となってはもうピークをとうに過ぎてしまったジャンルなんだなと深く感じる。

 

杜国  たそがれを横にながむる月ほそし
重五  となりさかしき町に下り居る
野水  二の尼に近衛の花のさかりきく
芭蕉  蝶はむぐらにとばかり鼻かむ

芭蕉の句の評釈】

露伴は下居の人即ち二の尼と見て、「きく」のは「近衛の花のさまなど絶えて知らぬ人」と解釈している。そこまではよいが、「鼻かむ」のは若き日を偲ぶ老尼の感傷だ、とやはり只の問答体に読んでいる。「春昼の老尼旧夢をおもふ無限の情景湧き出でゝ尽きざるをおぼゆ」。これでは俳諧にならぬ。折口は、大原御幸を持ち出して平家滅亡の俤と解釈し、二人の尼の関係など気にせずともよいと云う。「連俳はどう連想してもよいが、連想の範囲がきまっていて、そのなかで適切なものを、よしとせねばならぬ。句がはっきりせぬと、いくらでも連想がおこる。蝶はむぐらにはあざとく生きているので、少しころして考えた」。これは折口の連俳論の基本的な考え方だ。いきおい、先の「髪はやすまをしのぶ身のほど」やこういう句にまで故事の俤をさぐることになるが、解釈法があべこべである。連句の要諦は、連想の範囲をむしろ限定したがる相手の用辞を見据えて、いかにしてその繋縛から上手に逃れるかに尽きる。芭蕉が晩年、「軽み」の提唱にたどり着いた意味はまさにそこにあるのだ。

(「狂句こがらしの巻」p62-63)

 

本評釈書での安東次男はまるで歌仙がまかれたその真っ只中に自身も連衆として立ち会っていたかのように言葉の海に潜りこんでいる。他の連衆たちの連句に賭ける想い、座を成り立たせるための想いを汲み取ることを第一とするため、方向ちがいの想像的な解釈をほどこす過去から現代にいたる評釈者に対しては幸田露伴折口信夫から中村俊定まで容赦なく切り捨てている。連句のルールさえよくわからない二十一世紀の一般読者にはもう入り込めない高みでの議論なので、大変面白く読むことができても、それでは自分で評釈つけてみようとか、歌仙を巻いてみたいとかいうことにはまるでならない。たとえば令和の世において角川春樹福田和也あたりを中心に座がつくられ、ネット上でライブ放映されたとしても、視聴者として高揚した気分になれるかどうかといえば、可能性はかなり低い。安藤次男レベルの解説者がついたとしても、受け手側の教養レベルが江戸の俳人たちとは全く違ってしまっている。万葉集から師匠芭蕉の直近までの作品(現代で言えばたとえば角川春樹の最近作)までを共有できていないので、句を出す方も受ける方も言葉の機転が利かずに白けてしまうと思う。今の時代は、他の方法で言葉を「持成」ていくことを考えた方がよいのだろう。楽しみの選択肢がいろいろある時代で、あるひとつのジャンルが裾野をひろげて、頂を高くするというのはなかなか難しい。ピークアウトしたものの再興はもっと難しい。


内容:
・狂句こがらしの巻(「冬の日」1684 芭蕉41歳)
 芭蕉・野水・荷兮・重五・杜国・正平
・霽(しぐれ)の巻(「冬の日」1684 芭蕉41歳)
 杜国・重五・野水・芭蕉・荷兮・正平
・雁がねの巻(「阿羅野」1688 芭蕉45歳)
 越人・芭蕉
・鳶の羽の巻(「猿蓑」1690 芭蕉47歳)
 去来・芭蕉・凡兆・史那
・梅が香の巻(「炭俵」1694 芭蕉51歳)
 芭蕉・野坡
・炭売の巻(「冬の日」1684 芭蕉41歳)
 重五・荷兮・杜国・野水・芭蕉・羽笠
・霜月の巻(「冬の日」1684 芭蕉41歳)
 荷兮・芭蕉・重五・杜国・羽笠・野水
・花見の巻(「ひさご」1690 芭蕉47歳)
 芭蕉・珍碩・曲水
・灰汁桶の巻(「猿蓑」1690 芭蕉47歳)
 凡兆・芭蕉・野水・去来
空豆の巻(「炭俵」1694 芭蕉51歳)
 孤屋・芭蕉・岱水・利牛

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松尾芭蕉
1644 - 1694
安東次男
1919 - 2002