読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

マルティン・ハイデッガー『乏しき時代の詩人』(1945の講演, 理想社ハイデッガー選集5 手塚富雄・高橋英夫 共訳 1958)の読書感想を書いていたら淀川長治(1909 - 1998)のことを思い出した。

論文集『森の道』(1950)に原題「何のための詩人か」として収録された、ヘルダーリンに導かれるようにして展開されたリルケ論。「ドゥイノの悲歌」と「オルフォイスに寄せるソネット」などの後期作品を中心に取り上げている。

「乏しき時代」とはヘルダーリンの悲歌「パンと葡萄酒」(1800)から採られた言葉で、神が欠如している世界の夜の時代、神性の輝きが消え去ってしまい、世界を基礎づける根底が見出されなくなってしまった時代とハイデッガーによって規定され、その時代はヘルダーリンが歌いはじめた時期にはじまるととらえられている。世界史的にはフランス革命(1789~1799)の時代以降ということになる。世俗的世界と技術の進展が急速に拡大していく時代といったところだろうか。現在までつづくこの乏しき時代を生きる人間の頽廃を語るハイデッガーの言葉は冴えている。ハイデッガーの詩的批判能力はいまも読む者を魅了せずにはおかない。

自己を意欲する人間は、至る所で事物および人間を計算の対象としている。計算されたものは商品になるのである。すべてのものがつねに別のものとなって、新しい秩序の中へと転化される。純粋な関連に対する別離は、鎮静せずに休みなく秤っている秤の中に住みついている。この別離は、世界の対象化によって、自らの意図に反して不安定な生活を営んでいる。こういうふうに無庇護の中へと冒険された人間は、事業と「両換」という仲介の中を動きまわっている。自己を遂行する人間は、自己の意欲を動員して生活している。人間は、本質上自己の本質を危険にさらして、貨幣の震動、諸価値の動揺ということの中で生活しているのである。人間はこの不断の両替人、そして仲介業者として「商人」なのである。人間は休みなく秤り、考量してはいるが、しかし事物の固有の重さを知らないのである。また人間は、自分自身の中で何が真に重さを持ち、何がより重いのかをも知らない。
ハイデッガー選集5『乏しき時代の詩人』p97)

 

現代の人間を描写するハイデッガーの言葉は的を射たものでしかも精気があり人間の不安定さに対する思考をいやがうえにも活発化させる。そこにもってきてリルケの詩を引用しながら「商人から天使へという秤への移行」という解決もしくは逆転の道を用意してくれているので全面的に賛成したくもなるのだが、ずっと天使でいるわけにもいかないでしょうという拗ねた感じの想いも澱のように堆積してくる。ハイデッガーが詩に寄せる期待感はいつも変わらず、死すべき人間が苦痛を介して本質に触れる時が出来し、その経緯が喜びの歌として誉めあげられるという構造への信仰のようなものになっている。信仰に洩れた「仲介業者」「商人」からの「天使」以外への展開はないものかと、ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』やそれを語っていた淀川長治を思う起こしながらぼんやり考えてみる。淀川長治は商人を兼ねた天使だったなあというのはハイデッガーには通用しないかもしれない私の個人的な感想。

ハイデッガーリルケの「重力」という詩について、以下のように語っている。

未聞の中心とは、存在の世界遊戯における「永遠の遊び仲間」なのである。存在を冒険として詩作しているこの同じ詩は、この仲介の関連を、「純粋な諸力の重力」と呼んでいる。純粋な重力、すべての冒険の未聞の中心、存在の遊戯における永遠の遊び仲間、それが冒険である。
ハイデッガー選集5『乏しき時代の詩人』p37)

 

映画を相手にした淀川長治の世界遊戯は凄かった。映画をあまり見ない私のような人間にさえ、すべてに本質の層が見える角度があることを独特の語りによって伝道してくれた映画商人天使。たとえば、蓮實重彦山田宏一を相手に縦横に語り尽した『映画千夜一夜』は、言葉をもつものが聖なるものに繋がる一つの可能性を示してくれている。というよりも聖なるものがあるという現実の世界を身をもって示してくれた貴重な人物だった。リルケのような詩人とともに、言葉を使い言葉に生きるものがなってみたい境位が現実界に商品として流通していることは凄い。そして、ありがたい。

ライナー・マリア・リルケ(1875 - 1926)

 重力

 中心よ、何とおんみはあらゆるものから
 自分を引きよせ、飛んでいるものからさえも
 自分を取りもどすのだ、中心、最も強力なものよ。
 立てる者、その内部を貫いて重力が急激に墜ちてゆく、
 飲み物が渇えの中を奔りおちてゆくように。
 けれど眠れる者からは
 空に満ちた雲から降るように
 重さというゆたかな雨がそそぐのだ。

 ゆたけき雨よ、すべての重さをうるおし、ふりそそげ。

【付箋位置】
8, 14, 18, 21, 40, 43, 47, 51, 54, 61, 69, 92, 97, 100, 105, 107

 

マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
ライナー・マリア・リルケ
1875 - 1926
ヨハン・クリスティアンフリードリヒ・ヘルダーリン
1770 - 1843
淀川長治
1909 - 1998
手塚富雄
1903 - 1983
高橋英夫
1930 - 2019