読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【4連休なので神秘思想への沈潜を試みる】04 離在: 自称唯物論者、『神の慰めの書』でマイスター・エックハルトの教説に酔う

今後の人生のよりどころになり得る一冊。エックハルトの神への愛に発する言葉に触れて、信仰のない私のこころも大きく動いた。はじめて聴くような言葉の数々に、世界に接する態度の別の可能性といったものを教えてもらったような気がしている。


エックハルトは権威権力側の教会から異端宣告を受け、抹殺対象となり、審問にかけられる前に死去したため処刑されることはなかったものの、著作は焚書にされ、葬り去られている。神との合一を説くエックハルトの思想は、神と信仰者の直接関係が主となり、教会の存続を危うくする思想でもあるため、教会側として許容できる思想でないことは容易に想像できる。教会の官僚機構のなかに身を深く沈めているものであれば、エックハルトを危険視するのは当然だ。だからこそ、既成の思想を危うくするまでの堅固さにまで達したエックハルトの思想は本物なのだと思う。より根底的、ラディカルな思索の数々は、神として名指されているもののすがたも、一般的な創造主・審判者のイメージから、どこか変えてしまっているような印象も受ける。

 

人間が神にもっとも近く結ばれんがためには、そしてまた彼が、己が神の内にあったときのすがた、すなわち神が今だ万物を創造し給わざりし以前、彼と神との間に何の差別もなかったときのすがたにもっとも相似的にあらんがためにはいかにすればよいのか、どうするのが最善最高の徳なのかを、全心を傾倒して真剣に探索したのである。かくのごとにくして私は、私の理性が証し認識しうるかぎり一切の書を究尽して来ているが、すべての被造物を捨離する純粋なる離在(abegescheidenheit)よりほかに見出さなかったのである。(「離在について」p186)

 

すべてを捨て、無に到ることを究極とする無の思想。「神の無能」こそ「最大の能力」と説く教説。一点の曇りもなく無を肯定的に説くエックハルトの思想は、私にとってかなり衝撃的であった。キリスト教神学の歴史のなかではエックハルトのほかに同じような思想を説くものもいるのかもしれないが、私ははじめて接した考え方だと思った。仏教の無とも異なる全能なる無。思考の極限の形態を見せてもらったような気がしている。


【 マイスター・エックハルト (1260 - 1328) 】

『神の慰めの書』(講談社学術文庫 相原信作訳)
第1部 論述
 1 教導説話
 2 神の慰めの書
 3 高貴なる人間について
 4 離在について
 5 魂の高貴性について
第2部 説教
 1 マタイ伝第21章第12節についての説教
 2 マタイ伝第25章第23節についての説教
 3 ルカ伝第7章第14節についての説教
 4 ルカ伝第10章第38節についての説教
 5 同上
 6 ルカ伝第21章第31節についての説教
 7 ヨハネ第1書第4章第9節についての説教
 8 イザヤ書第49章第13節およびヨハネ伝第8章第12節についての説教
第3部 伝説
 マイスター・エックハルトの饗宴
 マイスター・エックハルトの娘
 マイスター・エックハルトの時代と生涯

 

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