読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【4連休なので神秘思想への沈潜を試みる】07 解放: 神智学に傾倒したカンディンスキー、内的必然性の解放に踏み出す

ワシリー・カンディンスキー(1866 - 1944)はバウハウスでも教官をつとめた理論派の抽象画家。著作『点と線から面へ』は読んだこともあるが(メモ程度の感想ですがこちらです

uho360.hatenablog.com

)、

シュタイナーもいた神智学協会会員であったとは気がつかなかった。ピエト・モンドリアンも同じく神智学信奉者ということで、視覚芸術系には大変いい影響を与えていたという歴史的事実にすこし驚いた。シュタイナー自身の著作については自然科学系の学問すべてを書き換えようという意志を感ずることはできるが、はっきり言って失敗していると思ったのだが、それが視覚芸術の守備領域に限定して展開されると、こうも鮮やかな業績が生まれるのかと、眼を洗われる思いがした。精神の状態と色彩および形象との結びつきに特化した場合、神智学の提示する体系知は、未踏の領域に切り込んでいく刃のするどさが研ぎ澄まされていく。

 

カンディンスキーの性向】
カンディンスキーにとって、〔抽象への〕決定的な一歩は「理性的」な芸術の拒絶をも意味するものだったからであり、アイヒナーにいわせれば、そのためには「莫大な内面の推進力とあたうかぎり強力な自己意識」が必要なのであった。(「序章」p17)

 

【神智学の方向性についてのリングボムの解釈の一つ】
彼ら(引用者注:神智論者たち)は、こと超自然的問題に関するかぎりもはや唯物論的科学の方法も信じず、それに代わって「未開人たち」のなかば忘れ去られた方法へと方向を転じている。(第一章「物質の消滅と科学の瓦解」p56)

 

【内的必然性】
内定必然性は次のような三つの神秘的必然性から成る。
(一)芸術家による彼の個人的特性の表現に由来する個性の要素
(二)芸術家による時代や民族の特性の表現に由来する様式の要素
(三)すべての芸術の共通分母たる純粋に永遠に芸術的なるものである
第三の要素は、時間や場所から独立したもっとも重要な要素であり、芸術家の偉大さの尺度となるものである(第三章「芸術作品と芸術家」p141)

 

【シュタイナーの神智学とカンディンスキー抽象絵画の関係】
さまざまな対象は内的知覚に向かって「みずからの内的本質を語り」始め、そのとき、事物の内部で働くさまざまな力が「霊的な線や形象として」発現すると、シュタイナーは主張していた。こうした観念に励まされて、カンディンスキーは純粋な線と色彩についてのみずからの信念を、可視的な外観の背後にある内的核心の表現として造形化した。(第六章「余波」p252)

 

 

カンディンスキーの画業は具象画からはじまり、ロシア的形象の印象の濃い幻想的絵画を経て、純粋抽象画に向かうという、道を辿って行く。鑑賞者としては、それぞれの時期の好き嫌いはあるにせよ、それぞれの時期のカンディンスキーの全力を感じることができて、向き合えることの貴重さを感じることができるのだが、カンディンスキー自身の人生についての記述を見ると、あまり幸せそうな人生には思えない。いつも不満を感じている人生。ただそれは、自分の漠とした理想に明瞭な形態を与える技術と発想に廻りあえていないもどかしさが現れてしまっただけのもので、けっして負け戦ではないことは確認しておかないといけない。

 

S・リングボム『カンディンスキー ―抽象絵画と神秘思想』(原書 1970, 平凡社 1995 松本透訳)

 

ワシリー・カンディンスキー
1866 - 1944
シックストン・リングボム
1935 - 1992
ピエト・モンドリアン
1872 - 1944
ルドルフ・シュタイーナー
1861 - 1925
松本透
1955 -