読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

山口晃『ヘンな日本美術史』(祥伝社 2012) 現代日本の内的必然性に思いをめぐらす

近ごろ気になっている言葉は「内発性」「内的必然性」。ゆるぎない情動にしたがっている人物の濁りのなさと知恵の深さには、たとえ同意するまでにはいたらなくても、心をゆさぶる強さがある。

 

山口晃『ヘンな日本美術史』。これは前にも触れたことがある日本美術についての本心からの発言だと思った。橋本治の『ひらがな日本美術史』(新潮社 全七巻)。鑑賞のスタンスがほぼ一緒で、付け加えるに山口晃側には実作者としての制作過程をくぐり抜けたところの言葉の重みと切れ味が嫌みなく備わっている。洋画になんか降りまわされる必要なんかなかったのに、という共通した思いに、義務教育レベルにとどまっている私の日本美術についての価値観は大いにゆさぶられ、近代以降の日本美術の痛ましさに目を見開かされる。そしてまた、正統な評価を受けるにいたっていない日本近代美術の苦闘を担った作家の再評価の言挙げに、こころを熱くし、紹介された作品の素晴らしさに陶然とする。

まさに名著、と思っていたら、当たり前の感想だったようだ。第十二回小林秀雄賞を取っているじゃないか。小林秀雄賞の歴代ラインナップを見ても正当に評価されていることがわかり、まことに目出度い。

小林秀雄賞 - Wikipedia

 

パースがとれる、バルールがあわせられる人の人の絵では、余白が許されなくなります。マネの「笛を吹く少年」のバックのように、何も描かないとしても最低限の陰影処理をしないと画空間が破綻するのです。
(第五章 やがてかなしき明治画壇「河鍋暁斎」p230)

パースは遠近法、バルールは色価。古来日本美術にはなかったもの、というか必要なかったもの。岡倉天心は『泰東巧藝史』(1910)で「西洋は立体、東洋は平面」と述べていたが、平面を志向するものにとってはパースもバルールも必要のないものであった。だが、近代化の流れの中で西洋のものが正しいとされ、無批判に導入されてしまったために、混乱が起きた。江戸末期から明治以降の美術はその混乱と立て直しのなかでの試行錯誤となる。西洋画中心の価値観のなかで、中心から外れて仕事をした人間は、人気もなく忘れ去られてしまっていたが、丹念な再考作業の中でじりじりと浮き上がってくる。内発性、内的必然性をもった作家や作品の色褪せることのない力の故と考えられる。『ヘンな日本美術史』の最後に取り上げられた三人の画家は、特に気になる画家となった。本書最後の図版として掲載されている川村清雄の「梅に雀」は、私が大富豪であったらとても欲しい作品だ。ゴッホの「花咲くアーモンドの木の枝」と並べて一日中見ていたい。

 

でも、まったく使えないから捨てられるかと云うとそうでもなくて、最初に粗い網にかけて節操なく採り入れたものを、時間をかけて取捨選択して、何代かかけて”こなしていく”と云うのが日本文化の「オリジナリティ」の源(みなもと)です。
そのこなしていったものが三代も続くと、それは元から見たら全く別の物になってしまう。必要があればいくらでも独創は生まれます。軒(のき)を深くできる「ハネ木」などは実に日本の独創で、雨に対する必要から生まれた美しい技術です。
普通は、派生物と元の物があった時に、何かを生み出す力は元の方が強いのではないか思われがちですけれども、実はそれは逆であるように感じます。日本に限らず、生まれたてのひ弱なそれを、よってたかって「大したもの」にしてやるのが文化です。その力が尊いのです。
(第二章 こけつまろびつの画聖誕生 ―― 雪舟の冒険「文化のオリジナリティはどこから生まれるか」p90-91)

西洋近代の波は力強く、江戸末期からはじまってまだまだ日本的に「こなしていく」過程の真っ最中にある。自分の生きているうちは大成した形は見られないかもしれないが、新たな日本的なる美のあらわれを遠望しつつ、現在の作家の仕事に眼を向ける必要が鑑賞者側にも必要だと思う。心に留め置く言葉は「必要」。かつて坂口安吾が『日本文化私観』のなかで声を大にして叫んだ「必要」。必要が感じられていないことは、多分一時的な遊びだ。

伝統の美だの日本本来の姿などというものよりも、より便利な生活が必要なのである。京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車が動かなくては困るのだ。我々に大切なのは「生活の必要」だけで、古代文化が全滅しても、生活は亡びず、生活自体が亡びない限り、我々の独自性は健康なのである。なぜなら、我々自体の必要と、必要に応じた欲求を失わないからである。
(中略)
ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。
坂口安吾『日本文化私観』)


目次:
第一章 日本の古い絵 ―― 絵と絵師の幸せな関係
 鳥獣戯画
 白描画
 一遍聖絵(絹本)
 伊勢物語絵巻
 伝源頼朝
第二章 こけつまろびつの画聖誕生 ―― 雪舟の冒険
第三章 絵の空間に入り込む ―― 「洛中洛外図」
第四章 日本のヘンな絵 ―― デッサンなんかクソくらえ
 松姫物語絵巻
 彦根屏風
 岩佐又兵衛
 円山応挙伊藤若冲
 光明本尊と六道絵 ―― 信仰パワーの凄さ
第五章 やがてかなしき明治画壇 ―― 美術史なんかクソくらえ
 「日本美術」の誕生
 「一人オールジャパン」の巨人 ―― 河鍋暁斎
 写実と浮世絵との両立 ―― 月岡芳年
 西洋画の破壊者 ―― 川村清雄

 

山口晃
1969 -

 

【付箋位置】

26, 29, 55, 56, 69, 78, 90, 94, 108, 112, 120, 145, 184, 189, 216, 229, 230