読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

エトムント・フッサール『ブリタニカ草稿 現象学の核心』(原書1927 ちくま学芸文庫 2004 谷徹訳) フッサールとハイデッガーの共同作業の不成立からみる方向性の違い

フッサールが『ブリタニカ百科事典』の求めに応じて「現象学」の項目のために執筆した四つの草稿を集成。フッサールの論文は決定稿よりも草稿のほうがわかりやすい。著作でいうと最終著作『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(中公文庫)よりも草稿を集成した『間主観性現象学』(全三巻 ちくま学芸文庫)のほうが、緊張しないで読める。三倍の分量でも『間主観性現象学』のほうが読んでいて楽しいし、知的興味も満たされやすい。フッサールは、刊行物になると、より厳密により確実により正しくという思いがあふれて、文章がブッシュ化して、読者も自分自身も見慣れぬ路に迷いこませていくようなところがあると思う。本書も最終第四稿が一番読むのに苦労するもので、百科事典用の記述としても、込み入っていて難しくて一般受けしなさそうだなという印象が残った。

超越論的主観性とは、それのなかでこれらの眼前に存在するものやすべての眼前に存在するものが一定の統覚をつうじて――「われわれ」にとって――「作られて」くるところの意識生の(諸)主観にほかならない。人間としてのわれわれ、つまり、世界のなかに心的にも身体的にも存在しているものとしてのわれわれは、〔超越論的な〕「われわれ」にとって存在している。つまり、〔世界のなかに存在する〕われわれとは、きわめて多様な志向的生の現出者であり、それゆえ〔超越論的な〕「われわれ」の生――これのなかでこそこうした眼前に存在するものがその意味内容すべてとともに「われわれにとって」統覚的に作られるのだ――のなかの現出者である。眼前に存在する(統覚された)自我やわれわれは、そうしたものがそれにとって眼前に存在するところの(統覚する)自我やわれわれを前提にしているのであるが、しかし、後者の自我やわれわれは、それ自体としてはもはや〔前者と〕同じ意味で眼前に存在していない。けれども、われわれは、超越論的経験によって、この超越論的主観性への直接的な接近路をもつのである。
(「第四草稿(最終稿)」p38-39 〔〕は訳者による補足、太字は実際は傍点)

 

現象学」を調べてみようとして百科事典を開いたら、より調べなくてはいけないことが広がってしまうし、なによりも読み取るのには慣れが必要な癖のある文章で、とても一般的とはいえない。現象学創始者に頼まなくても、もっと適任者がいただろうに。最終的にブリタニカの記者が草稿を半分に縮小して編集し直したものを載せたというのだから、明らかに原稿を頼むべき人を間違っている。だからといってハイデッガーが適任者かというと、こちらも曲者なので、一般解説は二流、三流の個性の薄い弟子のほうが向いている。

さて、このブリタニカ草稿、第二稿までフッサールハイデッガーの共同作業となっている。弟子のハイデッガーフッサールの文章に突っかかっているような注記を書いたりして、結局、共同作業は不首尾に終わり、フッサールが仕事を一人で引き受けることになるのだが、その経緯と、それに対する訳者の解説は、二人の方向性を知るうえで大変貴重なものとなっている。

フッサールの「存在論」は、基本的に言って、すでに「普遍性」を要求している。それは、個体的な存在者や事実的な存在者に関わるのでなく、むしろ、(数や形相のような)普遍的な存在者に関わるものとして構想されているのである。その意味では、個体的な「現存在」に関わるハイデガー的な「基礎的存在論」は、フッサールの「存在論」のなかには入ってこない。
(「訳者解説」p261-262)

 

私的で俗な印象をいうと、フッサールは普遍を目指す自然科学者で、ハイデッガーはドイツを背負う民族詩人。無時間的なコスモポリタンと歴史をもった土着の人の違いが大きいという気がしている。基礎的なものを確立しようと奮闘するフッサールにくらべれば、ハイデッガーの方には背後に歴史と芸術という不気味かつ魅惑的な存在が控え支えてくれているので、どうしても傲慢な態度あるいは不遜で戦闘的な態度になりがちなのだろう。科学者も詩人もどちらもいて欲しいものだけど、同居するのはなかなか難しいようだ。

 

というような印象を持ちながら四つの草稿を読んだ。

 

【付箋位置】
8, 12, 19, 31, 38, 51, 68, 128, 156, 165, 198, 245, 261
 

筑摩書房 ブリタニカ草稿 ─現象学の核心 / エトムント・フッサール 著, 谷 徹 著

 

エドムント・グスタフ・アルブレヒトフッサール
1859 - 1938
マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
谷徹 -
1954