読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

アラン『小さな哲学史』(原書 1918, 1943 みすず書房 2008)視覚障害者のための点字本テクストに込められた意味を想像する

読み通したあとに「訳者あとがき」でもともと点字出版のために書かれたテクストだったということをはじめて知り、哲学史にしては変な配分だなと思いつつ読んだ文章の意味合いを、あらためて想像してみようと思った。

原書のタイトルは『盲人のための哲学概論』。目次をあげると、こうなる。

 

目次:

タレスイオニア学派
ピュタゴラス
エレア学派
ヘラクレイトス
エンペドクレス
アナクサゴラス
原子論者たち
ソフィストたち
ソクラテス
プラトン
アリストテレス
ディオゲネス
ストア派の人びと
エピクロス
キケロ
宗教哲学について
デカルト
 懐疑/魂と物体の区別/神/情念
スピノザ
ライプニッツ
ヒューム
カント
オーギュスト・コント
 諸学の体系/三段階の社会的法則/実証的精神/社会心理学/歴史哲学/社会学的道徳/家族/二つの権力/言語と文化/偉大なる存在/暦と祭式

 

タレスイオニア学派」から「カント」までの21章で92ページに対して、「オーギュスト・コント」の1章だけで73ページ。哲学史を振りかえるなかでオーギュスト・コントの思想を押さえておけば間違いなし、最短で最上の成果をお約束、と言外に言っているような構成だ。しかも、読者層は健常者にくらべて書物を読む機会に恵まれることの少ない視覚障害者層だ。情報提供者として、より誠実により慎重な仕事を心がけたに違いない。それで、この特異な配分。信仰者の所業のように思える。

 

形而上学の重大な誤りは個人主義だが、これは一神教の個人救済という学説がすでに入念に準備していたものであった。この誤った考えを修正することになる実証主義の核心はというと、宗教的感情のインスピレーションのもとにすでに理論的思想の萌芽があると認めることである。この宗教と理論との関係は、私たちに自然にそなわるあらゆる考えかたに見てとれるもので、それがひとたび作られてもはや学ばれなくなれば、この感情が行動にあっても認識にあっても第一の動機となるだろう。(「オーギュスト・コント」p113)

 

実証的方法による外的秩序の認識の外においては、人びとの意見を現実的に支えるのは、いつだって感情であったり社会的必要事という圧力であって、法廷弁護士がくりひろげる議論のようなものではないのである。たとえば戦時には、世論が一変するが、それは激しい感情と緊急事態の圧力のせいである。だから知性は自分がただの奴婢なのだとみとめなければならない。(「オーギュスト・コント」p117)

 

形而上学批判と実証哲学の称揚。アランの『小さな哲学史』の基本姿勢はそう読み取れる。形而上学個人主義と独善的真理観をより上位のものとは考えず、感情と社会的必要事を冷静に見極めて都度対応する方が重要である。正しいかもしれない。知性を振り回すな、お前の正論ばかりを言うな、というところだろう。ただ、発言の余地があったり、奴婢側の必要が出てきた時には、奴婢たる知性もその限界を見極めつつおおいに活動すべきであるとは思う。

 

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アラン(エミール=オーギュスト・シャルティエ)
1868 - 1951
オーギュスト・コント
1798 - 1857
橋本由美子
1956 -