読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

若松英輔+山本芳久『キリスト教講義』(文藝春秋 2018) キリスト教受容の歴史は内輪でもっと練ってから提供してほしいかな

お知り合い、内輪モードのぬるさはありつつ、現代日本カトリック言説の最上層の御意見をいただく。

 

言葉の本来的な意味を考察しながらの教えは傾聴に値する。

 

【罪】

ギリシア語で罪はアハマルティアというのですが、これは元々は「的外れ」、という意味なのです。そんなところを目指しても人間としては満たされませんよ、というようなニュアンスなのです。その流れで考えれば、「人間は罪を背負って生まれてくる」といういわゆる「原罪」の教義も、人間には、自分を本当に満足させることのできないようなものをなぜか追い求めてしまうところがある、といった意味で解釈できるはずです。(p222 若松)

 

【悪】

悪とは人間のなかに内在する、聖なるものを破壊しようとする衝動であって、それは罪とは根本的に異なるもの、つまり、本来求めなければならないものを求め損なっている、というよりも、本来求めなければならないものを破壊しようとする衝動を伴ったものが悪なのではないか。(p223 若松 )

 一般日本人はキリスト教的な価値評価に全面的に依拠しなくてもいいだろうとは思いつつも、そこは隣人愛として真剣に価値観の共有を考えたりはする。


読了後は、本文よりも推薦ブックリストの重さに襟を正す。


【付箋箇所】
58, 124, 135, 146, 190, 222, 223, 228

若松英輔
1968 -
山本芳久
1973 -