読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

本居宣長『排蘆小船』(1756頃 27歳)青年宣長二〇代の挑戦、心の弱さと非合理を肯定する「もののあわれ」論

あしわけをぶね。鬱陶しいまでにさかしらな批評の言葉が生い茂っている歌界の蘆原を私は「もののあわれ」という小船で渡っていきますという宣言の歌論。

歌の道は善悪のぎろんをすてゝ、ものゝあはれと云ふことをしるべし(p55)

 

人の情のありていは、すべてはかなくしどけなくをろかなるもの也としるべし。歌は情をのぶるものなれば、又情にしたがふて、しどけなくつたなくはかなかるべきことはり也。これ人情は古今和漢かはることなき也。しかるにその情を吐き出す咏吟の、男らしくきつとして正しきは、本情にあらずとしるべし。(p65-66)

 京都に遊学のまとめとしてものされた宣長の処女作は出版も公表されることなく秘め置かれたものであるが、その内容は後に講義を開くための大きな土台となったに違いない、立派な論考。正岡子規の『歌よみに与ふる書』(1898 31歳)の万葉賛美に対して宣長は古今賛美。どちらかといえばジャーナリスティックに書かれた子規の『歌よみに与ふる書』よりも『排蘆小船』における宣長の視野の方が広く深いように感じられるが、現代にあっては併せて読まれるのが一番よいのではないかと思う。宣長の方は古文だけれども意外と辞書や注を見なくても読める。そして、実際に読んでみると驚くばかりの独自性。まだ「漢心」という概念が用いられる前の初期思想でも、弱い心情をとりつくろわないことこそ良しとする評価の姿勢は揺るぎない。とりつくろった臭みが出た時点で歌としてはまがいものと言い切る極端さが、思想家として大成し後世に残る思索を生み出す原動力となっているのだろう。戦略ではなく本心からそのように考え、日々の思索にあたっていたということには、こちらも虚心坦懐に向き合い、しっかりと受け止めなければいけない。

詠歌の第一義は、心をしずめて妄念をやむるにあり。然してその心をしづむると云ふことが、しにくきものなり、いかに心をしづめんと思ひても、とかく妄念がおこりて、心が散乱する也。それをしづめるに大口訣(だいくけつ)あり、まづ妄念をしりぞけて後に案ぜんとすれば、いつまでも、その妄念はやむことなき也。妄念やまざれば歌は出で来ぬ也。さればその大口訣とは、心散乱して妄念きそひおこりたる中に、まづこれをしづむることをばさしおきて、そのよまむと思ふ歌の題などに心をつけ、或は趣向のよりどころ、辞(ことば)のはし、縁語などにても、少しにても、手がかりいできなば、それをはしとして、とりはなさぬやうに、心のうちにうかめ置きて、とかくして思ひ案ずれば、をのづからこれへ心がとゞまりて、次第に妄想妄念はしりぞきゆきて、心しづまり、よく案じらるゝもの也(p60-61)

 とりつくろわないで、自分の心を歌という形で外化して向き合い一歩踏み出してみること。そうすれば心が静まるという功徳も出てくるという、なんだか心理療法のプロセス説明みたいなはなしをしてくれている。有情のものはみな歌をうたうのだから、とりつくろわずおおいに歌い、よき歌を生めという、歌の世界復興によるよき世界への道筋を明らめた論考となっている。

 

テキスト
本居宣長『排蘆小船・石上私淑言 宣長「物のあはれ」歌論』(子安宜邦校注 岩波文庫 2003)

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【付箋箇所】
11, 19, 20, 21, 22, 26, 29, 32, 35, 42, 48, 49, 55, 58, 59, 60, 62, 63, 65, 67, 68, 70, 71, 73, 76, 78, 79, 84, 85, 86, 88, 103, 112, 120, 129

 

本居宣長
1730 - 1801
子安宜邦
1933 -