読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】06. 戦闘 ハイデッガーのきな臭さ

ハイデッガーニーチェ』の原書は1961年の刊行。実際に講義が行われたのは1936~1937, 1939, 1940の期間。ナチスとは距離をとったと言われている時期ではあるが、どうにもきな臭い。

プラトニズムと実証主義における真理 ニーチェニヒリズムの根本経験からプラトニズムの逆転を試みたこと

地球全体にひろがり始めたあらゆる秩序の解体に臨んで、彼(ニーチェ)はこのような目標設定に必然的に要求される勢力範囲の広大さをも眼に入れている。そのような目標設定は、個々の集団や階級や宗教や、また単に個々の国家や民族のみにかかわるものではありえない。それは少なくともヨーロッパ的な規模のものでなくてはならない。が、それは国際的ということではない。なぜなら、創造的な目標設定とその準備という本質上、それは歴史的な目標設定であり、したがって特定民族という形態における充実した人間の歴史的現存在の統一体の中でのみ、行動と存立に至りうるのだからである。このことは、他の諸民族からの離叛とか、他の諸民族に対する抑圧とかを意味するものではない。目標設定はそれ自体において対決であり戦闘開始である。しかるに真正な戦闘とは、その中で戦い合う勢力が互いに高め合い、この高まりへの力をみずからの内から発揮するような戦闘なのである。(p219-220 太字は実際は傍点)

「対決」「戦闘」という言葉が使われると、「互いに高め合い」とか言われても、あやしい空気感があることは拭い去れない。目下「民族という形態」での「対決」「戦闘」ということになると、攻める側ではなく守る側になるけれど、個人的には「日本語のテキスト」がまず思い浮かぶ。水村美苗日本語が亡びるとき: 英語の世紀の中で』、小説が好きな方は『私小説―from left to right』で英語独裁的世界を感覚的に知ることができる。


マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
1844 - 1900
水村美苗
1951 -

細谷貞雄
1920 - 1995
杉田泰一
1937 -
輪田稔
1940 -