読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ポール・クローデル『詩法』(原書1900-1904, 齋藤磯雄訳 1960, 1976 )呼吸としての詩、カトリック詩人の濃密な世界観

共鳴器としての人間。豊かな世界の中で出会うもの触れるものに応じて楽音を響かせる。詩の方法、詩の技術というよりも哲学的散文詩といったものに近い。詩を語りながら人間を語っているようで深い。詩の司祭による最高級の教説。呼吸としての詩。

 

【時間の認識】

人間は世界を、そこから掠め取るものによってではなく、それにつけ加えるものによって、すなわちおのれ自身によって、認識するのです。 (p196)

わたくしの富は無尽蔵であります! 宇宙全体が欠けていること、そして宇宙にわたくし自身が欠けていること、それは宇宙全体を所有することであります。(p197)

運動とは空間における一握りの星辰の拡大である。(p199)

未来の諸条件で絶えず増大してゆく合計。過去は方向(サンス)を決定する。(p200)

 

【世界への共同・出生(コ=ネサンス)とおのれ自身に関する論説】

音階のそれぞれの音符は他のもろもろの音符を呼び寄せ、必要とする。いかなる音符も単独で感情を満足させると主張しはしない。(p207)

構成の場処もしくは形象は、けっして休息を有(も)たず、存在するという義務、すなわちおのれをつくり、おのれを維持するという義務によって課される労働を限りなく合算してゆくのである。(p208)

物は、おのれが排除するものだけしか認識しないから、おのれがそれならぬもの、おのれ自身ではないもの、だけしか認識しない。(p209)

人間はおのれを生み出す力を規正し、誘導し、活用する。動物にあっては感官(サンス)のみが理解力をもつ、すなわち、周囲の情況と合致するためにおのれの占むべき場処をめざして方向を決める本能の如きがこれである。(p220)

精神は振動することが可能であるから、そのさまざまな音程の意匠の中に、他の同質の諸実体の作用を受けることが可能である。(p237)

 

詩に関心がある方は是非とも読まれるべき一品。ポール・クローデルの詩の仕事は日本で読むのは出版状況的になかなか難しいところがあるが、エドガー・アラン・ポーの『ユリイカ』やポール・ヴァレリーの詩の仕事くらいに手に取りやすいものとなってほしい。個人的には『テスト氏』よりもずいぶん興奮する作品であった。ちくま学術文庫あたりでどうにかしてほしいところだ。

 

※『筑摩世界文学大系56』所収


ポール・クローデル
1868 - 1955
齋藤磯雄
1912 - 1985