読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】09. 最後の人間 どん詰まりに対峙する

まず「最後の人間」を目指す。「超人」はそのあと。

回帰説の第二の伝達

最後の人間とは《ほどほどの幸福》をめざす人間であり、きわめて抜け目なくすべてを心得、すべてを営んでいるが、そうしながらすべてを無難化し、中位のもの、全面的平凡の中へ持ちこんでいく。この最後の人間のまわりでは、すべてもの物事が日ごとに小さくなる。こうして、彼がまだ偉大だと思っているものも、彼にとってもっと小さく、いよいよ小さくならざるをえない。( p338-339 )

小さく、平凡に、つまらなくなっていくことを見つめ見届ける。すべての物事が小さくなっていくのなら、それもまあ良い。善いことだけでなく悪いことも小さくなっていくのだろうから。すべてが同じ比率で小さくなっていくので、いつになっても感じ方だけはまったく変わらないという落ちは勘弁。小さくなりすぎた圧力で暴発という流れもよろしくない。ほどほどの小ささを愛でる態度でいられるならまあまあ善い。サステナブル


マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
1844 - 1900

細谷貞雄
1920 - 1995
杉田泰一
1937 -
輪田稔
1940 -