読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

マルティン・ハイデッガー「形而上学の存在-神-論的様態」(原書 1957, 理想社ハイデッガー選集10『同一性と差異性』 大江精志郎 訳 1961)二つ以上のものの関係性ではなく、同一のものからの差異化が語られる

ヘーゲルの『論理の学』(『大論理学』)の哲学演習をまとめて講演した際のテキスト。存在と存在するものとが同一なるものにもとづいて差異を分かち合うことを論述している。

存在は顕わしつつ〔隠蔽を取り除きつつ〕ある転移として自らを示す。存在するものそのものは、非隠蔽性に自らを隠したもちつつ到来する仕方で現象するのである。
存在は顕わしつつある転移の意味において、存在するものそのものは、自らを隠したもちつつある到来の意味において、同一なるものにもとづいて、即ち差-別(Unter-Schied)〔この用語によってハイデッガーは同一なもののもとにおいて(Unter)存在と存在するものとを別けること(Schied)を表そうとしたと考える〕にもとづいて、かく差別されたものとして現成するのである。かかる差-別は、転移と到来とが互いに相即し、且つ不即不離(auseunander-zueinander)の関係におかれているところの《間》(das Zwischen)を、初めて生ぜしめ且つ分離するのである。存在と存在するものとの差異は、転倒と到来との差-別(Unter-Schied)として、両者の顕わしつつ隠したもつ定まり(entbergergend-bergende Austrag)である。(p63-64)

 

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形而上学入門』での「存在限定の図式」に当てはめると、同一なるものにもとづいて差異化は水平軸の矢印に相当するだろう。同一なるものは、矢印であらわされたはたらきが発生する場。また存在は、無と同一のものと言われたりもするように、顕わすはたらきではあるもののそれ自体としては見えず、常に存在するものの非隠蔽性のうちに隠れている。存在するものは「生成」または「仮象」の位置にある。

 

マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
大江精志郎
1898 - 1992