対語録、全二六章。「主なる神よ」「あなたは」という呼びかけによって展開される信仰の言葉。頓呼法で喚起される神はどうしても擬人化され、呼びかけ側と同一の地平に立っていると感覚されるので、ロジックだけ追いかけたいという読書の気分を妨げる。
第二三章
それゆえ、あなたのみが、主よ、あなたであるところのものであり、あなたはあなたであるところの方です。全体において存在する場合と諸部分において存在する場合とでは異なり、その内に可変的ななにものかが存在するものは、完全にそれがそれであるところのものではない。そして、非存在から始まり、存在しないものと考えることができ、さらに他を通して存在しなければ非存在に戻り、さらに今はそれではない過去をもち、まだそれではない未来をもつものは、厳密にまた絶対的に言って存在していません。しかし、あなたはいつ、あるいはどのようなかたちで、どのようなものであるにせよ、全体としてまた常にそのものですから、あなたはあなたであるところのものです。
このように呼びかけた後は、「そして私は、そのあなたを知るものです」と対置併存できる存在として発言者があらためて同一地表上に浮上してくる。部分が全体に向かってあなたと呼べるものかどうか。しかも呼びかけの対象は時間的にも空間的にも無限というか、時空を超えてもいるというのに。あなたと限定してよい対象だろうか。このように考える傾向のある者は「主よ」とは呼びかけない『モノロギオン』(=独語録)に重心を置いて読んだほうが無難。
長沢信寿訳の岩波文庫もある。
カンタベリのアンセルムス
1033 - 1109
古田暁
1929 -