中世神学の典籍においても悪魔というものがはっきりと出て来るケースは珍しいものではないかと思いながら読んだ。
人間は悪魔に属するものではなく、人間も悪魔も神のものでした。しかも、悪魔は、正義の熱意からではなく、不義の熱意に燃えて、それも神の命令によってではなく、神から許可を得て、人間を苦しめたのです。そしてそれを要求したのは、悪魔ではなく、神の正義でした。このようなわけで、神が人間を救うために、悪魔に対してその力を隠し、あるいはその行使を遅らせる理由は、悪魔の側には全くありませんでした。
(三「人間の贖罪に関する瞑想」より)
いきなり悪魔が出て来るので戸惑う。どのような経緯で存在するようになったものなのか、すくなくとも『中世思想原典集成7 前期スコラ学』からは分からなかった。『モノロギオン』の教えとどう整合性がつくのか、悪魔が最高の本質からどのように発出するのか、不明のまま今回のアンセルムス読書は閉じる。
知的反芻のための瞑想という行為。かつて許され推奨されていたであろう瞑想という行為はおそらく現代人にも開かれている。神を対象として実践するものでなくてもよい行為であろう。過去の瞑想者に倣い、自分なりの反芻を行う権利はあるとみた。
カンタベリのアンセルムス
1033 - 1109
古田暁
1929 -