読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ひのまどか『ブラームス ――人はみな草のごとく――』(リブリオ出版 1985) 「自由に、だが孤独に」を人生のモットーにしたブラームス64年の生涯

長風呂のお供にブラームスピアノ曲をよく聴いている。一番聴くのはグレン・グールドの輸入盤2枚組ピアノ曲集「Glenn Gould Plays Brahms - 4 Ballades Op.10, 2 Rhapsodies Op.79, 10 Intermezzi」。最近はハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読んでいるときに、ブラームスの6枚組ピアノ曲全集(Brilliant Classics)を順繰りに聴いている。

本を読む時はピアノ曲の伴奏があるとより長く読める気がするし、より長く湯船に浸かれる気がする。

交響曲だと変化や刺激が大きすぎるので、エンドレスで聴くのはなかなか難しい。大きな終局を引受けるのにはそれなりに気持ちを参与させなくてはならないけれど、ソロのピアノ曲であれば気分や感覚をひとりの演奏家に持っていかれることにあまり抵抗はない。

ハイデッガーの『ニーチェ』は平凡社ライブラリー全二巻で1000ページを超える長丁場になり、風呂場で読みきるには最低1ヶ月程度はかかる。今時点で、読みはじめから二週間程度たって、二巻目に入っているところだが、こんなにお世話になっているのに、じつはブラームスのことほとんど知らないできていたので、学習の意味をこめて何か伝記でも読んでみようと思い、近くの図書館所蔵のブラームス関連本を検索したところヒットしてきたのがこの著作。

対象年齢が小学校高学年から中学生ということで、軽い気持ちで閉架書庫からの申し込み貸し出しで、事前チェックなしに読みはじめてみたところ、出版社ターゲットの親以上の層の心にもえぐいほどに響く物語り風伝記作品になっていた。下手な小説よりも、伝記的資料にもとづく再現描写が心に刺さる。

ヴァーグナー+リスト系の派手筋の音楽関係者と齟齬をきたしたのち、シューマンのもとに身を寄せた若く麗しいブラームスが、主に経済的な抑圧された状況の下で精神的に崩れ、自殺未遂の後、回復することなく46歳で鬱的状況で亡くなってしまった師シューマンの妻クララに思いを抱きながら、40年の間、生涯独身のまま、音楽を軸にした交流をもちつづけた姿が描かれている。至高と思っているクララという存在との、一線を超えない肉体的かつ精神的な境界線をめぐるエロさが、ブラームスの音楽につややかさを与えているのだということが、本業バイオリニストでもあり思い入れも強いであろう著者の筆から伝わってくる。ブラームスもクララも互いに簡単に関係をもたないことで自身の本質を貫いた形跡があり、不在のロベルト・シューマンを中心にただならぬ人生の重力場を感じさせてくれる。

本書を読んで以来、ブラームスを聴くときにはクララの姿がいつも浮かんできてしまうようになった。そのくらいの影響力のある一冊であった。

副題の「人はみな草のごとく」は、ペテロ前書、第一章、第二十四節の言葉。

人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花のごとし。草は枯れ、花は落つ。

草であっても薫り高く、色濃い十九世紀ドイツの花。牡丹というよりは野の薔薇か。

牡丹散て打重なりぬ二三片 蕪村


ひのまどか(桜井尚子)
1942 -
ヨハネス・ブラームス
1833 - 1897
クララ・ヨゼフィーネ・シューマン
1819 - 1896
ロベルト・アレクサンダー・シューマン
1810 - 1856
グレン・グールド
1932 - 1982