読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】15. 真理 生の諸条件の表現であるところの真理

ニーチェの生物学主義的思索は、生物学という科学の成果としてみるのではなく、生物を科学する根拠をも問う形而上学的思索として捉えよと、ハイデッガーは指摘している。科学に対する形而上学の優位を強調しながらの1939年のニーチェ講義。見極め切り分けがなかなか難しそうな教え。

 

真理の本質に関するニーチェの根本思想における認識
《価値評価》としての真理(正しさ)の本質
ニーチェのいわゆる生物学主義

《真なるものと思う》という意味での真理の本質は《価値評価》として規定されるが、そのような《価値評価》は、否、いかなる《価値評価》も、維持と成長の条件、すなわち生の諸条件の《表現》である。《価値》として評定され尊重されるものは、このような条件なのである。ニーチェは、さらに一歩を進める。ただに《真理》がそれの本質において《生の諸条件》の圏内へ送り返されるだけでなく、さらに真理把握能力も、やはりここからそのかけがえのない規定を受けとる。「われわれのすべての認識器官と感能は、維持と成長の条件を目途としてのみ発達してきた」。してみれば、真理と真理把握は、たんにそれの使用と応用において《生》に奉仕しているだけでなく、それの本質と発生様式、ひいてはそれの遂行様式においても《生》によって営まれ、操縦されているのである。

(「《価値評価》としての真理(正しさ)の本質」p63 太字は実際は傍点)

「生についての先行概念」をも形而上学的に吟味させるところの《生》の規定を吟味しようとする思索。

 

マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
1844 - 1900
細谷貞雄
1920 - 1995
加藤登之男
1919 -
船橋
1929 -