読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

マルティン・ハイデッガー「真理の本質について」(原書 1943, 1949, 1954 理想社ハイデッガー選集11 木場深定 訳 1961)真理の本質は自由、非真理と非本質は・・・

人間の常態にあっては、真理の本質が安らっているわけではなく、真理の本質に到らない非本質と非真理が支配している。まず大切なのは常態で無茶苦茶しないこと。そのために常態である非本質と非真理の様相を知る必要がある。

【非本質】通常のものに安住すること。本質(秘密)の忘却状態

秘密は忘却されていることにおいて且つ忘却されていることに対して自らを拒むことによって、歴史的人間をして彼にとって通用しているもの〔の領域〕においての彼の作ったものの責任をもたせる。このような状態に立たせられて、人類は彼の「世界」を常に最も新しい要求や意図から捕捉し、彼の企図や計画で充実することになる。そのとき人間は存在するものの全体を忘却しつつ、上述のようなものから彼の尺度をとって来る。彼はこの尺度を固執し、また常に新しい尺度を調達するが、しかしなお尺度を取ることじたいの根拠や尺度を与えることの本質を顧慮するに至らない。新しい尺度や目標に向かって進むに拘らず、人間はなお彼の尺度の本質の純正さについて見誤る。彼が専ら主観としての自己自身のみをすべての存在するものに対して尺度に取れば取るほど、彼は誤測する。(6「隠蔽としての非真理」p31) 

誤ることを前提に(誤っている可能性を否定せずに)PDCA回していくと言ったらまるで企業活動のようだ。企業活動の目標は利益獲得と社会貢献。グローバル化の下で真摯に考えていく方が一般的にはよい。

 

【非真理】迷い。迷いの中を歩むこと。

人間は迷う。人間はこれからようやく迷い(イルレ)の中に歩み入るのではない。人間は脱自的に実存しつつ執自的に実存し、従ってすでに迷いの中に立つが故にのみ、常に迷いの中を歩むのである。(中略)歴史的人類の歩みが迷いであるためにその都度その中を彼が歩まなければならない迷いは、本質的に現存在の開けを共に接合する。迷いは人間を迷わせることによって彼を隈なく支配する。しかるに迷わしとして迷いは同時に、人間が迷いそのものを経験し、現-存在の秘密について見誤らないことによって、人間が迷わされないように脱自的実存から取り出しうる可能性に関して共働する。(7「迷いとしての非―真理」 p32-33)

 つど迷い、経験していくこと。超越俯瞰するのは危うい。

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形而上学入門』での「存在限定の図式」に当てはめると、真理の本質としてのはたらきは存在から当為にのびる垂直の矢印になる。ハイデッガーの当為は存在の本質に耳を傾けての行為というだけで、カントの定言命法のようには定式化されてはいない。やはり、つど存在に尋ねるように思索し行動するべきであるということくらいしか導き出せない。
※『形而上学入門』のように民族の命運とかいうよりは、よわよわしいつどつどの問いかけのほうが害はないし、現実的だ。

 

マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
木場深定
1907 - 1999