読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

筑摩世界文学大系3で読むプラトンのソクラテス対話篇7篇 対話相手と訳者の違いで人物の印象が異なるソクラテス

ソクラテスの弁明」以外の7篇の簡易読書メモ。
いくつかの青年相手の対話篇では、ソクラテスのことばの調子が艶めきを秘めている。ホモセクシャルな雰囲気が標準的な古代ギリシア世界で知的対話を通しての秘かな誘惑の実践が描かれているともいえる。愛を公言していて、対話の手管で翻弄したはてに相手が靡いてきても、体には手を出さないソクラテス。何処までも変人であり哲人という設定。知への愛というのは世間的な行動や思考とはやっぱり異なっているということだ。

訳 藤沢令夫   パイドン ――魂について――
魂の不死は納得できないけれど、対話篇の中で何と言い返したらいいかと考えるとなかなかうまいものは出て来ない。108A以降の大地の性状の古代的描写にソクラテスプラトンも真実ではないことも信じて言うこともあるのねと心休まるけれど、魂を含めて物に対応していない概念についての議論で勝てるかどうかとなると、すぐに微妙になるのは読んでいて悔しい。ソクラテスを怨む人間が出て来るのもわかる。

つまり、ぼくが前提として立てるのは、『美』や、『善』や、『大』や、その他すべてそういったものが、純粋にそれ自体だけであるということだ。もし君がこれをみとめて、それらのものが存在することに同意してくれるならば、ぼくはこのっ前提から出発して、問題の『原因』を見つけ出し、さらには、魂が不死であることを君に示すことができるだろうと思うのだが」

 認めませんというと、からまれて面倒くさそうで怖い。

【付箋箇所】
61B, 64B, 72D, 78B, 100B, 107A

 

鈴木照雄   饗宴 ――恋について――

ソクラテス、あなたはぼくが嘘をついているとは言いますまい。さて、こうしたことをぼくはしたが、この人は全然ぼくに打ち勝ち、ぼくの青春の美を蔑み嘲笑し、人もなげなふるまいにでた。しかもその青春の美については、それを相当なものとぼくは思っていたのだよ、裁判官諸君。――というのは、君らはソクラテスの傲慢さに対する裁判官だからね。――さてよく肝に銘じてくれ、神々に誓い、女神たちに誓って言うが、ぼくはソクラテスといっしょに一夜を寝て明かしたが、父や兄といっしょに寝た場合と同様、少しも変ったことはなく、起きたのだ。

 据え善の真空パックによる保存。プラトニック・ラブというのは、交流を終わらせないための、非接触の制限付きの交流という交流で、手を出さない方による主客逆転の劇をつかさどるもの、と考えておけばいいのだろうか。それとも、緊張感保持のための終局なしの密閉空間をつくりあげるための技術というところだろうか。魂が不死であればどこにも関係性の逃げ場はないのだから、一番張り詰めたところで留まるのが高エネルギーは持続して感じやすい。流出を伴うような法悦であれば精神経済的に避けるのが筋、という教えだろうか。

【付箋箇所】
199B, 202E, 219C

 

訳 藤沢令夫   プロタゴラス ――ソフィストたち――

そういう連中もやはり、酒を飲むときに、教養の貧しさのため、自己自身のもっているものだけをたよりに、自己自身の声と自己自身の言葉によって互いに交わるということができないので、自分のものならぬ笛の声を高い金でやとって、もって笛吹き女の市価を高からしめ、その声を肴にお互いのつきあいをするではありませんか。これに反して、教養ある立派な人々が酒宴にあつまる場合には、そこに笛吹き女も、舞妓も、琴をひく女も見出すことできないでしょう。彼らは、そういうくだらない慰みものなどなくても、自己自身の声によって、自分自身の声によって、自分たちだけで互いに交わるにこと足りるものをもっており、たとえ非常にたくさんの酒を飲んでも、自分たちのあいだで順番に秩序正しく話したり聞いたりするのです。

 ことの良し悪しはひとまず置いておくとして、ソクラテスみたいな人ばかりだと経済は停滞する。金銭による雇用がベースとなっている社会であるのなら、職業をもっている人がなるべく多く正当な対価を得られるようにした方がよい。音楽も舞踊も文化的に洗練される可能性も高い。みながみなイデアを語ってご飯が食べられ酒が飲めるという世の中であるわけではない。奴隷と市民の立場が完全分離していたギリシアの古代社会ならともかく、今現在の社会構成としては個人の中に市民と奴隷が共存しているのだ。2500年も前の社会と単純に比べても仕方ない部分があるのなら、思索自体も簡単に適用できない部分があると考えた方が無難であると思う。


【付箋箇所】
322A, 331C, 333C, 335D, 340B, 344E, 346D, 347C, 356E, 357E, 360D,

 

訳 藤沢令夫   メノン ――徳について――

メノン、どうやらアニュトスは怒ってしまったようだ。それも別に不思議ではないだろう。まず第一に彼は、ぼくがあの人の悪口を言ったのだと思いこんでいるのだし、それに自分もまたそうした人々の中の一人だと考えているのだから。まあしかし、彼は、「悪く言う」とはどういう意味かということを、いつかさとるときがあれば、怒るのをやめるだろう。いまのところ、彼はそれを知らないのだ。

 アニュトスは後にソクラテス告発の主導者となった民主派の政治家。人が変わる可能性を否定してはいけないけれども、学習中の青年とは違い、自分の政治的ポジションをもって活動している人がそう簡単に意見を変えるだろうなどとは普通考えない方がよい。政治的な討論であれば、その勝ち負けは自身の政治生命にもかかわるものなので論戦の仕方や攻撃防御の仕方は練っておいた方が無難だ。ソクラテスは神託もあるため真理一本槍で行けると思っているが、通常はそんなことはない。死刑になっても平気とかまったくない。かといって論争もせずに場の空気だけに流されるというのもストレスフルなので、凡人の選択の方が大変なのだ。ソクラテスさんもプラトンさんも、そこら辺の今日の日本的事情も考慮しながら再説してくれたらいいんだけど、プラトン系の人は今でも真理一本槍で通したい人が多いのだろうな。

【付箋箇所】
79D, 88B, 94E, 97B, 99E

 

訳 生島幹三   ラケス ――勇気について――

ソクラテスの語っているところだけひろってみる。略するのは対話の相手の一人、ニキアスの同意の音葉。

してみると、ニキアス、今あなたの言われたものは、徳の一部分ではなくて、徳の全体だということになるでしょう。(中略)ところが実は、われわれは、勇気を、徳の中のいろいろな部分の一つだ、と言っていたのです。(中略)ところが、いま言われたものは、そうではないようです。(中略)してみると、ニキアス、勇気が何であるか、ということは見つからなかったのです。

 基本的には仲のいいソクラテスとニキアスとラケルが勇気の定義について徳の定義と絡めながら対話してじゃれついている。「徳の部分の一つとしての勇気という概念規定は失効したね、ぼくたちの議論の中で」ということにどんな意味があるかというと、ほとんどよくわからないが、定義していく際に踏んでおくべきステップ、同じものを別の定義でとらえてしまった後に取るべき選択の理由の無効化、その他判断に際しての差異があるということは示唆していると思う。対話の妙とはこういったものかと感心するべきか、いい声の小鳥が三羽囀っていると感心するべきか、いぜれにせよ普通とは異なる言葉の運びに参入してみましょうというのが、最低限プラトンが伝えたかったことだとだったのだろうと思う。

【付箋箇所】
199D


訳 田中美知太郎 アルキビアデス ――人間の本性について――

 

アルキビアデス
 そうすると、わたしたちのすることは何なんでしょうか。
ソクラテス
 音をあげるわけにもいかないし、弱気になってもいけないのだ。われわれの仲間よ。
アルキビアデス
 そうです、それはみっともないことですからね。
ソクラテス
 うん、そうだとも。われわれはむしろ共同して、これを考察しなければならないのだ。

弱さを突き付け、それを超えるよう愛する青年を鼓舞するソクラテス。基本的にはいい人なのだけれど、愚弄しているように感じさせる粗さが対話の相手によっては色を濃くして出て来てしまう場合もある。そこが神と神託を受けただけのソクラテスの違いともいえる。神は面倒くさがらずに全員に神託を与えたらいいのにと思ってしまうのは罰当たりな考えなのだろうか。ソクラテスは神託を受けながらも大分自由意志も行使していると思われるので、選択の余地のある自由世界を担保しながら実現できることと思ってしまうが、まあゼウスもすべて好き勝手にできていたわけではないので、無理な願いではあるのだろう。

【付箋箇所】
114E, 117E, 124D


訳 田中美知太郎 テアイテトス ――知識について――

それ! それ! それだよ、そういうふうに、テアイテトス、気軽に言わなければいけないんだよ。最初の時は、答えがはかばかしくなかったが、ああいうのは、むしろいけないね。なぜなら、今のようにすれば、われわれは、二つに一つ、目ざすものを見つけるか、でなくても、まるで知らないことを、知っていると思うことが少なくなるのは、まちがいないが、さてそんな果報も、まんざら捨てたものではないだろうからねえ。

ソクラテス、青年テアイテトスにデレデレのていを伝える田中美知太郎の生き生きとした訳。対話の内容は現象学の認識論と存在論に関連していそう。フッサールハイデッガーを想起しながら読んだ。思想の内容は別にして、対話篇というドラマ仕立ての構成力については、フッサールハイデッガーともにプラトンにははるかに及ばない。「メノン」についてと同様、正確な概念規定を行なおうとして、結局のところ未達で終わる作品構成も、緊張の糸が持続しつづけるところが個人的には大変好ましいと思っている。


【付箋箇所】
146C, 148E, 160C, 161B, 172D, 185C, 187C, 189C, 198D


※付箋は1578年のステパヌス版(パリ)のプラトン全集のページ数

 

図書館の返却期限との兼ね合いで、読み貯めていた作品についてのメモ書きを一日で何とか書きだしてみた。だいたいは再読で、哲学の古典なので、また読み返すこともあるだろうと思いつつのメモ書き。

 

プラトン
B.C.427 - B.C.347
ソクラテス
B.C.469 - B.C.399
田中美知太郎
1902 - 1985
藤沢令夫
1925 - 2004
鈴木照雄
1919 - 2008
生島幹三
1929 -