読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】25. 機械的経済学 地球支配が可能だと思うことができた時代と人の発想

永遠回帰を肯定し、目標なしに生を肯定することを価値とする超人が、いつの間にか地球の支配者としての地位につけさせられている。「ヨーロッパのニヒリズム」は1940年に行われた講義。さすがに現代では地球支配ということを表立って表明する人は少数派だろうが、コントロールしたいという欲望は消えないもののひとつだろう。

 

形而上学と擬人化
プロタゴラスの命題
近世における主体の支配
cogito me cogitareとしてのデカルトのcogito
デカルトのcogito sum

今日われわれは、或る民族が自分自身の歴史から発源↓した形而上学にいつの日かもはや耐えられなくなり、それもこの形而上学が無条件なものへ転化したその瞬間に耐えられなくなるという、秘密に充ちた歴史法則をまざまざと目撃している。ニーチェがすでに形而上学的に認識したことが、いま明るみに出てくる。それは、近世の《機械的経済学》が――すなわちすべての行為と計画を機械的に計量化する計算が――その無条件な形態において、従来的な人間を超え出るまったく新しい人間類型を要求しているということである。(中略)
いま必要とされるのは、近世の技術の独特な根本的本質とそれの形而上学的真理とに根底から適合する人間類型であり、すなわち技術の本質によって全面的に支配され、こうしてかえって個々の技術的な過程や可能性をみずから統御し、利用することのできる人間類型なのである。
無条件な《機械的経済学》にニーチェ形而上学の意味で適合するのは、ただ超人のみであり、そして逆に超人は、地球全土の無条件な支配の設定のために、あの機械的経済学を必要とするのである。
(「デカルトのcogito sum」p423 )

「すべての行為と計画を機械的に計量化」し「地球全土の無条件な支配」する。「すべて」や「全」に対する見積もりが相当甘いような気がするのだが、80年前は今よりも人間や機械の能力を信用しやすい環境があったのだろう。雨ニモマケル風ニモマケルラインを計算しつつ時に避難しながら地球と共生しようとしている2020年の秋。

 

マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
1844 - 1900
細谷貞雄
1920 - 1995
加藤登之男
1919 -
船橋
1929 -