読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

宮下規久朗『モチーフで読む美術史2』(ちくま文庫 2015) 喪失者による虚飾のない仕事。人の心を動かす美術の力へのまなざし。

2013年の『モチーフで読む美術史』につづく文庫版オリジナル著作第二弾。あらたに50のモチーフから美術作品を読み解いていく、小さいながらも情報量の多い作品。

著者である宮下規久朗は、前作『モチーフで読む美術史』の校了日に一人娘を22歳の若さで亡くしている。本作はその喪失感の中ではじめてなされた仕事。美術作品への質の高い紹介文の魅力はそのままに、人生の後半で突然生きる軸を失ってしまったなかで亡き娘と自分自身への魂鎮めのようになされた仕事が胸を打つ。美術自体に関わる教えとともに、同時代を生きる先達の悲しみの中での日々の仕事への向き合いを伝えてくれている。

今でも美術に対しては以前ほどの情熱をもてず、かけがえのない掌中の珠よりも美術史を優先してきた自分の半生を否定したいという気持ちは消しがたい。しかし、その虚無的で荒廃した心境のうちにも、かつては気にもとめなかったような美術作品がすっと入ってくることが幾度かあった。美術というものは宗教と同様、悲嘆のどん底から救い上げてくれるような力はまったくないが、その闇に入ってきて螢のように微弱な光を灯してくれる程度の力はあるのかもしれない。夢も希望もない残りの生あるうちは、こうした美術のかすかな力を信じるしかないと思っている。
(「あとがき」p269)

 完全な救済までは望まないなかでの全身をかけた美術への信仰。いつまでも苦味の残る関わり合うべきものの再選択。カラヴァッジョを専門とする著者であるゆえ、前書、本書をとおしてカラヴァッジョへの言及がいちばん多いのは当たり前のことだが、言及の多寡をひとまず置いて、一読者として印象に残ってきたものはヤン・ファン・アイク円山応挙高橋由一という画家たちだった。いずれも大きな結節点に立つ作家であるのだが、なかなかメインを張ることも少ない画家という印象もある。その三名の画家が宮下規久朗の二作品から浮き上がってきたことは、何か意味がありそうで興味深い。

 

ヤン・ファン・アイク:《ファン・デル・パーレの聖母子》(鸚鵡)、《泉の聖母》(泉)
円山応挙:《十二支 大根鼠》(野菜)、《雪松図屏風》(雪)
高橋由一:《貝図》(貝)、《墨水桜花輝耀の景》(桜)、《甲冑図(武具配列図)》(甲冑)
※以上は宮下規久朗『モチーフで読む美術史2』での収録図版

 

筑摩書房 モチーフで読む美術史2 / 宮下 規久朗 著

 

目次:

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  蜂
  蝗
  蜘蛛
  象
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  鯨
  狼
  狐
  猪
  鹿
  栗鼠
  麒麟
  一角獣
  白鳥
  鸚鵡
  亀
  蛙
  海老
  貝
  野菜
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  ナツメヤシ
  オリーブ
  桜
  松
  ピアノ
  ヴァイオリン
  甲冑
  傘
  旗
  鎌
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  煙草
  硬貨
  骰子
  トランプ
  眼鏡
  シャボン玉
  泉
  彗星
  雲
  雨
  雪
  風
  波
  影
  坂
  涙

 

宮下規久朗
1963 -