読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

唐木順三『無常』(筑摩叢書 1965 ちくま学芸文庫 1998)日本的詩の世界の探究

赤子の世界、無垢なる世界は、美しいが恐ろしい。穢れ曇ったものが触れると、穢れや曇りが際立ってしまう。そして、在家の世界で赤子のままでずっといられる万人向けの方法など探してみても、どうにもなさそうなので、せめて先人の行為の跡に触れようと、ときおり詩美の世界を覗いてまみては、現実にかえる。かえった時の現実は、その時によってさまざま。痛かったり、厳しかったり、不安となったり、空しくなったり、すこし腹がすわったり、爽快だったり、いとしさを感じたり・・・ 今回の『無常』探訪では、現実と文芸の嶮しさの印象がかなり後を引いている。「無常」の章の到達点として用意されていた芭蕉の一所不在の旅の世界は、憧れてもそう近寄れる世界ではなかった。安定した家の世界を好んでいる自分を再確認したため、詩に憧れている自分の立ち位置のぐらつきようが、こころの底のほうまでざわつかせている。

一切捨棄、理性のはからいの捨棄、自己捨棄、意識捨棄、捨棄の捨棄というところまで徹底すれば、即ち、無我、無心というところへ超出すれば、その世界は案外に、リズムをもった、美的な、調和ある、いわばポエジイの世界ではないかと、実はそういうことを思い思いしているのである。単純にいえばみどり児の世界、またオルフォイスの世界である。それが反って存在の根底ではないかと、そういうことすら考え考えしているのである。
(無常 「死と詩 ―一遍の称名―」p172 )

存在の根底にいたるまでの前段の厳しさのほうに今は目が行っている。捨てるのは苦手だ。捨てさせられるのも苦手だ。ふっとそういう捨棄の境地に行って戻る自在さがあればいいなと憧れているにすぎない。

 

【付箋箇所】ちくま学芸文庫
11, 20,27, 35, 59,68,75, 83, 86, 90, 92, 95, 97, 100, 103, 106, 117, 121, 123, 126, 153, 158, 168, 171, 172, 185, 190, 195, 205, 214, 217, 218, 237, 241, 263, 293, 306

 

目次:

はかなし


「はかなし」といふ言葉
かげろふの日記
紫式部日記
宇治十帖
和泉式部日記
兵の登場I―あるエピソード―
兵の登場II―非情の世界―
建礼門院右京大夫集―「はかなし」から無常へ―

無常

さまざまな発心―法然の特殊性―
浄土と穢土―恵心、法然親鸞
死と詩―一遍の称名―
雄弁と詠嘆―そのさまざまないろあひ―
詠嘆的無常観から自覚的無常観へ―『徒然草』の場合―
飛花落葉―心敬、宗祇、芭蕉

無常の形而上学道元

 

筑摩書房 無常 / 唐木 順三 著


唐木順三
1904 - 1980