読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

『間の本 イメージの午後 対談:レオ・レオーニ&松岡正剛』(工作舎 1980)「未知の記憶」と「宇宙的礼節」を呼び寄せる輝かしい対談の記録

The Book of MA

平行植物』の日本語版刊行を機縁に、発行元の工作舎の編集長である若き松岡正剛(当時36歳)とレオ・レオーニ(当時70歳)の間で執り行われた鮮烈な対談の記録。松岡正剛レオ・レオーニから貴重な言葉を引き出そうと全力でもてなし、攻めているところがすばらしく、対談相手のレオ・レオーニも興に乗って、たぐいまれな交歓になっているところがうらやましい。文化の根源に触れるようなこまやかな言葉が縦横無尽に飛び交う異言語での対談を成立させた同時本訳者としての木幡和江の仕事も、表には見えないながらも驚愕に値する。『スイミー』や『あおくんときいろちゃん』などの絵本ばかりではなく、ウンベルト・エーコブルーノ・ムナーリの友人でもある文化人としてのレオ・レオーニの側面に触れてみるのも悪くない。

 

レオ・レオーニ

われわれはつねに「アンノウン・メモリー」というものにふれようとして、言語をデザインし、建築を地につくり、こうして対話する。何か不思議な清らかなものわれわれの間にやってきているような気がしませんか。(中略)なぜか「アンノウン・メモリー」が喚起されている空間には静謐な落ちつきがあります。それは、記憶の向こう側、記憶のモールド(鋳型)が絶対であり、わたしたちはそのなかを動いている存在にすぎないからかもしれない。だからわれわれに訪れる「アンノウン・メモリー」に、その落ちつきを認める。(6 未知の記憶 「言霊(マントラ)が立ち上がる」p151)

 松岡正剛

ぼくは、数の発生についてもひとつの仮説をもっているのですが、それは「2」が最初だったろうということです。英語の even には、そのような思想がよくあらわれている。even は「偶数」であって、また「同等」ということですよね。また、これがすばらしいことなのですが、それは「たまたまそのとき」といった意味でもある! 「未知の記憶(アンノウン・メモリー)」がそこにやってきているわけけです。
日本語でも「偶」という字は「たまたま」とか「偶然」とかという意味をあらわします。
(6 未知の記憶 「国家に盗まれたデザイン」p167)

 

松岡正剛は、単著ではセンチメンタリズムが横溢することが多かったり、凶暴さを抑えるように噛んで含めるような文章にしていることも多く、読者としてもどかしさを感じることも結構あるのだが、対談の時には、千夜千冊を書いているときのような攻めや挑発の姿勢を表に出すことが多く、はらはらしながらも楽しめる。高度すぎてわからないときもあり、その際は読んでいて落ち込むこともしばしばだが、刺激というものはそんなものだろう。

 

目次:
1 イメージの訪れ
2 イメージ・ゲーム
3 混沌とオーガニズム
4 間と同時性
5 文字の建築
6 未知の記憶
7 黄昏の鏡像世界

 

【付箋箇所】
26, 27, 30, 35, 43, 75, 86, 88, 97, 103, 105, 110, 126, 134, 136, 144, 151, 156, 159, 166, 175, 182

 

レオ・レオーニ
1910 - 1999
松岡正剛
1944 -
木幡和江
1946 - 2019