読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

エルンスト・カッシーラー『シンボル形式の哲学(二) 第二巻 神話的思考』(原書 1925, 岩波文庫 木田元訳 1991) 言語と意識の発生にせまる傑作

頭がいいのはいいなと単純に思わせてくれるすがすがしいまでに明晰な哲学書。日本ではカッシーラーは入門書とかもあまりなくて、人気が出ていないのが残念だ。

人間は、おのれがつくりだす器具や人工物に即してはじめて、おのれの身体の性質や構造を理解することを学ぶのである。人間はおのれ自身の自然(プュシス)を、おのれんつくりだしたものを鏡像にして捉え理解する、――人間がつくりだした媒介的道具の在り方が人間に、彼の身体の構造とその個々の部分の生理学的働きを支配している法則の知識を開き示して擦れるのである。だが、「器官―投射」ということの真の深い意味はけっしてそれに尽きるものではない。むしろその意味は、ここでもまた、おのれの身体の有機組織についての自覚の進行に精神の過程が平行して進むということ、人間がこの知を媒介にしてはじめておのれ自身に、つまりおのれの自己意識にゆきつくのだということを考えてみるとき、はじめて明らかになろう。したがって、人間が発見する新たな道具の一つひとつが、単に外界の形成だけではなく、人間の自己意識の形成へ向かう新たな一歩を意味していることになる。
(第3部 生活形式としての神話 神話的意識における主観的現実の発見と規定 第二章「神話的な統一感情と生命感情からはじまる自己感情の形成について」 2.人格の概念と人格神―神話的自我概念の位相 p403-404 太字は実際は傍点)

レヴィ=ストロースエリアーデなど、1920年代以降の神話学、宗教史学の展開を前にして、カッシーラーの研究の価値がどれほどあるのかと、訳者の木田元にしてからがあまり積極的に語ってくれていないところが悲しいが、すくなくとも私にとっては中沢新一より刺激的であった。

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目次:

序論 「神話の哲学」の問題

第1部 思考形式としての神話
 神話的な対象意識の特性と基本的方向
 神話的思考の個別的カテゴリー

第2部 直観形式としての神話 神話的意識における空間的―時間的世界の構造と分節
 基本的対立
 神話の形式理論の基本的特徴 ―空間・時間・数
  神話的意識における空間構成
  空間と光―「方位決定」の問題
  神話的時間概念
  神話的および宗教的意識における時間形成
  神話的数と「聖なる数」の体系

第3部 生活形式としての神話 神話的意識における主観的現実の発見と規定
 自我と霊魂
 神話的な統一感情と生命感情からはじまる自己感情の形成について
  生けるものの共同体と神話的類形成―トーテミズム
  人格の概念と人格神―神話的自我概念の位相
 祭祀と供犠

第4部 神話的意識の弁証法


【付箋箇所】
26, 29,46, 62, 67, 75, 91, 92, 140, 145, 149, 155, 156, 162, 174, 182, 184, 187, 192, 202, 215, 238, 241, 261, 265,273, 299, 333, 343, 358, 365, 368, 386, 395, 403, 406, 415, 442, 469, 481

 

エルンスト・カッシーラー
1874 - 1945
木田元
1928 - 2014