読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

『樋口一葉小説集』(ちくま文庫 2005)憂い悲しみながら生きている

さきほど給湯器が壊れてお湯が出なくなった。風呂を沸かした直後で風呂には入れるので、まあついているといえばついている。正月休みも明けているので、明日になれば管理会社に連絡が取れるのも、ついているといえばついている。かたちあるものは古びて壊れるのは仕方ないが、思うようにならないことが顔をのぞかせてくると、ちょっとこころはざわつく。

樋口一葉が父の死を受けて家の主となり、駄菓子屋経営を失敗して後、小説を書いて生計を立てはじめたのが明治25年(1892)の20歳の時。それから4年間で22篇の小説をものし、肺結核で24歳で亡くなっている。遊廓のある東京の下町に住む年若い人々の色恋をめぐっての悲しみおおい妄念妄執を、流れるような語りで紡ぎあげている樋口一葉の小説は、悲劇のもつ痛みと輝きを鮮やかに描き出している。最近では一葉作品の現代語訳というものも多く出ているが、語りのリズムまで味わうにはやはり原文のほうが良い。このちくま文庫は十分なルビと、脚注、参考図版で、今の時代の読者にも一葉作品をその本来の姿のまま提供してくれている。明治前半の東京下町の人間関係の狭く近いなかで生活している人間の息遣いが感じられて、大変濃い読書体験を作ってくれる。現代の消費社会のスカスカの関係性のなかで感じる人間の悲しみとはかなり違った、うっとおしい複数の視線が渦巻くなかでの悲しみの世界が控えてくれている。

お待お待、今加減を見てやるとて流しもとに盥を据へて釜の湯を汲出し、かき廻して手拭を入れて、さあお前さん此子をもいれて遣つて下され、何をぐたりと為てお出なさる、暑さにでも障りはしませぬか、さうでなければ一杯あびて、さつぱりに成つて御膳あがれ、太吉が待つて居ますからといふに、おゝ左様だと思ひ出したやうに帯を解いて流しへ下りれば、そゞろに昔しの我身が思はれて九尺二間の台所で行水つかふとは夢にも思はぬもの、ましてや土方の手伝ひして車の跡押にと親は生つけても下さるまじ、あゝ詰らぬ夢を見たばかりにと、ぢつと身にしみて湯もつかはねば、父ちやん脊中を洗つてお呉れと太吉は無心に催促する、(「にごりえ」(四)p97-98 ちくま文庫ではルビ付き)

本日はお湯が思うように使えない状態だったので、感想を書こうと思ったら上の場面が思い浮かんできた。23歳、うらやましい文章力。

 

筑摩書房 樋口一葉 小説集 / 樋口 一葉 著, 菅 聡子 著

 

目次:
大つごもり 1894
ゆく雲 1895
うつせみ 1895
にごりえ 1895
十三夜 1895
わかれ道 1896
たけくらべ 1895-96
われから 1896
闇桜 1892
やみ夜 1894

資料篇―同時代評


樋口一葉
1872 - 1896
菅聡子
1962 - 2011