読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

岩波日本古典文学大系89『五山文學集 江戸漢詩集』(岩波書店 1966 山岸徳平校注)から江戸の漢詩を読む

藤原惺窩から良寛まで江戸の漢詩人77名を集めている。鎌倉室町期の五山文学に比べて使用される語彙が多くなっていることもあり詩興のバリエーションは増えている感じはするが、閑寂を理想美としていることもあってか、生活に関わるような事物が出てくることは少なく、かわりに心象風景にかなった風物が詠われることが多いためひたすら淡い、ものの少ない世界に居るような気分にさせる詩集となっている。商品経済は今より格段に発達していなかった江戸の時代であっても、芝居も浮世絵もこまごまとした日用品なども出てきていない。良寛に関しては遺稿集や各種評伝など少なからず読んでいるため、もっと具体物の登場する、感情も生々しい作品があることも知っているのだが、この集に関しては、普段あまり採られることのないあっさりした作品が選ばれているようだ。全般的に玄人好みの選択となっているのかもしれない。

そんなことを思いながら目に止まった作品をひとつご紹介。

那波活所(なはかっしょ 1595-1648)

巖城結松

別離雖惜事皆空
綰柳結松情自同
馬上哦詩猶弔古
寥寥一樹立秋

巖城(いはしろ)の結び松を

別離は 惜むと雖(いへど)も 事 皆 空しく
綰柳(わんりゅう)も 結び松も 情は 自(おのづか)ら同じ
馬上に 詩を哦(が)しつつ 猶(なほ) 古(いにしへ)を弔したれば
寥寥(りょうりょう)たる一樹は 秋風に 立てり


寂しそうに立つ一本の松の木が心象と重ね合わせられて詠われているのが悲しくも美しいと感じる一品。

寥寥一樹立秋

こちらは読み下し文でもなく横書きでもなく、縦書きの配置のまま眺めるのが漢文の詩句としてはふさわしい見方なのだろうなと思った。

  寥
  寥
  一
  樹
  立
  秋
  風
  
漢字だからといってすべてが象形文字ではないだろうが、文字の配置によって見えてくる景色がちがうのもまた鑑賞者側にとっては動かしようのない事実だ。縦書き七言に風の中に立つ樹のイメージが被る。

 

山岸徳平
1893 - 1987