読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

エルンスト・ブロッホ『異化』(原書 異化Ⅰ ヤヌスの諸像 1962, 異化Ⅱ ゲオグラフィカ 1964, 白水社 1986)はっきりしないものに輪郭を与え、キツイものを揉みほぐす言葉の力

度重なる亡命と異国の地での生活のなかで希望と現在を語りつづけた異能の思索者、エルンスト・ブロッホ(1885 - 1977)。ナチス活動期ドイツでのユダヤ人という、これ以上ない苦難苦境の中にありながら、軽さを決して失うことのない文章の数々は、書かれた内容とも相俟って、まさに時代風潮を「異化」しつづけていたのだと思う。思想的に「独特」あるいは「異端的」と各種正統派路線上の主流派たちによる圧力を常に受けながら、その圧力を受け流し、敵と対しては逃げ撃ち、追い込んでくるものに対してはトラップを仕掛けるなど、知的フィールドでのブロッホの遊撃のセンスは、二十世紀前半の時代の重たい空気にほとんど侵されることなく華麗さを極めている。同時代の盟友たち(たとえば、ベンヤミンジンメルルカーチアドルノ)などよりも、生活においても文章においても、状況が強いる抑圧や重力に対しての振舞いや・あしらい・諦念などの合わせ具合がとても軽やかで、嫌みや臭みや無理や痛みがいちばん少ないようなタイプの思想になっているような感じを受ける。生き延び、世界を変えていくための切っ掛けと支点を、自身が移動しながら生きた先々に落とし込んで成長を待っていっているような長期的な展望も常に失わない思索家としての人生。土地を持たずに移動する先々に苗木を植えていくことで各土地土地の風景も未来もいずれは変えてしまうという、ジャン・ジオノの『木を植えた男』的な人物。

 

ブロッホの『異化』。一部で主著と言われていることもあるが、どちらかというと長きにわたる文筆活動期間全般をカバーし、ブロッホの活動全般を短めの複数エッセイで再構成した、導入書(白水社版日本語訳は現在品切れ中)。誰にも異論が出ないであろう主著は『希望の原理』。二〇二一年現在、『希望の原理』は日本では白水社より全六巻取り寄せ購入可能となっている。いわく「希望の百科事典」。

 

ブロッホと同時代を生きた日本の美学者である中井正一は、日本全国千館くらいの規模感で図書館に良書を揃えたいという比較的現実可能な希望を掲げていた。それが実現しているなら、人口比から考えても東京都内であれば『希望の原理』は40セット以上なければいけないことになる。現実は半分以下といったところだろうか。良書の定義は人によって違うし、予算も限られているので希望は実現されていないが、希望は実現されていないからこそ、未来を変える力にもなってくる。

 

希望という方法(メトデイクム)は、<まだ=ない>の領域、すなわち、開始ととりわけ究極的内容の依然たる非決定性の領域、の中にあるのである。言葉をかえれば、失望させうるものに直接かかわっているということであり、だからこそ(エオ・イプソ)希望は、それ自身のうちに挫折という困難をかかえているのだ。希望は決して確信ではないのである。それどころか希望は、歴史過程と世界の過程の、まだ決して挫折してはいないがしかしまだ決して獲得されてもいない過程の、非決定性と密接しているのだ。希望は、現存するものをたんに潜在的に救済するもととしてだけでなく、危険として取りまいている客観的・実在的に可能的なものの場(トポス)にも満ちているのである。
(『異化』Ⅰヤヌスの諸像「希望は失望させられることがあるか」p203)

 

まだまだ希望の実現に向けての途上にあることをブロッホを読みつつ確認しながら進む。

エルンスト・ブロッホ - 白水社


【付箋箇所】
11, 35, 58, 61, 83, 153, 162, 63, 178, 202, 203, 205, 206,207, 208, 256, 268, 278, 373, 391, 393, 396, 397, 409,

 

目次:

異化Ⅰ ヤヌスの諸像 1962

 01 呼びさます
 02 耐えがたい瞬間
 03 眼前のボブスレー
 04 鏡なしの自画像
 05 大いなる瞬間、気づかれづに
 06 既視感(デジャ・ヴュ)のイメージ
 07 探偵小説の哲学的考察
 08 芸術家小説の哲学的考察
 09 疎外、異化
 10 ホフマン物語
 11 『魔笛』と今日の象徴, 1930
 12 ヴァーグナーにおける逆説とパストラーレ
 13 光による神話の破壊と救済
 14 技術者の不安, 1929
 15 技術と幽霊現象, 1935
 16 ヘーベル、ゴットヘルフ、ならびに農民の道(タオ), 1926
 17 希望は失望させられることがるか, 1961
 18 『三文オペラ』の海賊ジェニーの歌, 1929
 19 ポンセ・デ・レオン、ビミニ島、ならびに源泉
  [魔法のガラガラと人間竪琴]
  
異化Ⅱ ゲオグラフィカ 1964

 01 近道
 02 静かな田舎
 03 砂の中のサロン, 1933
 04 荒廃と小都市
 05 ルートヴィヒスハーフェン=マンハイム, 1928
 06 マンハイム、好意的な回想から, 1931
 07 風景から見たベルリン, 1932
 08 ヴォルムスの聖パウロ教会, 1933
 09 春の草原の歓び, 1933
 10 [フラテリーニ三兄弟、または]アルカディアの前舞台, 1933
 11 ライン瀑布での驚嘆, 1934
 12 ブロッケン山の発掘, 1928
 13 秋、沼、荒野、そして分離派, 1932
 14 十九世紀末以降の自然像について, 1927
 15 カワラバト、ネアンデルタール、本当の人間, 1929
 16 ネス湖、大海蛇、そしてダケーの原始世界の伝説, 1934
 17 アフリカのトレーダー・ホーン, 1932
 18 シュトラースブルクの大聖堂にて, 1928
 19 写真なしのアルプス, 1930
 20 マローヤからキアヴェンナへの漂流, 1934
 21 ヴェネツィア、そのイタリアの夜, 1934
 22 イタリアと多孔性, 1925
 23 シアグリウスの王国, 1930
 24 ユートピアの墓場と記念祭、地理的に。空と草原(ステップ), 1942
 25 ゲーテのスケッチ「理想の風景」
 26 大晦日と新年をめぐる風景
 27 低速度撮影、高速度撮影、および空間


エルンスト・ブロッホ
1885 - 1977
船戸満之
1935 -
守山晃
1938 - 1991
藤川芳朗
1944 -
宗宮好和
1945 -