読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

茨木のり子+長谷川宏『思索の淵にて 詩と哲学のデュオ』(近代出版 2006, 河出文庫 2016)哲学成分が少ないデュオだけど長谷川宏が楽しんでいる様子がうかがえるいい本

ヘーゲルの新しい翻訳者として高い評価を得ている長谷川宏全共闘活動に参加した後、大学に所属せず塾を営み生計を立てることを選択した経験が、茨木のり子の詩にあわせて語られている。編集者の桑原芳子も注文していたように「もっと哲学的に思索してください」という言葉通りの印象が残るのも確かだが、詩を読みながら自分の人生を振り返るというスタイルも親しみやすく味わいも深い。

自分が酒好きだから余計にそう思うのかもしれないが、酔いを求める気持ちの底には、無用なものでもなんとか気楽に暮らせる世間というものへの、なにほどかの愛着がふくまれるように思う。有能さや有用さへの執着を捨てて、他愛のない時間を生きたいと思っている。無用の人でも他愛のない人でも肯定されるような場を欲しがっているのだ。
茨木のり子の詩「居酒屋にて」にあわせた散文「庶民の哀歌」より p137-138 )

学問的な哲学ではなく、経験者が語る人生哲学の書といったところ。

茨木のり子の詩が長谷川宏の散文と合わさることで、また一色加わった味わいとなっている。30篇からそれぞれ注目の一行をピックアップしてご紹介。

 

幾千年
 ああ まだ こんななの


 あっけないほど すとん と胸に落ちる

青年
 二昔まえのわたくしが

女の子のマーチ
 魚の骸骨みたくない

ある一行
 絶望といい希望といってもたかが知れている

六月
 どこかに美しい人と人との力はないか

行きずりの黒いエトランゼに
 おもえばおかしな世界がある


 その果ての一瞬の開花なのだ

吹抜保
 吹抜保(ふきぬけたもつ) いい名前だ 緊張がある

さくら
 生はいとしき蜃気楼と

落ちこぼれ
 ばかばかしくも切ない修行

わたしの叔父さん
 摘蕾(てきらい)というんだよ

端午
 うン のり子おばちゃんは裸の王様

大男のための子守唄
 お辿りなさい 仮死の道

夏の声
 いくじなしは いくじなしのままでいいの

根府川の海
 ひたすらに不敵なこころを育て

スペイン
 国に対する迷妄はすでにな無い

寒雀
 雪女はひたすら土に淫して覆いかぶさる

廃屋
 何者かの手荒く占拠する気配

最上川
 世襲を断ち切れ

居酒屋にて
 ずいぶんと異な音もきかされたもんだっけが

鄙ぶりの唄
 私は立たない 坐っています

さゆ
 白湯もまた遠ざかりゆく日本語なのか……

あのひとの棲む神
 自分なりの調整が可能である

四海波静
 黙々の薄気味わるい群衆と

わたしが一番きれいだったとき
 ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

問い
 もうどうしようもない老いぼれでしょうか

準備する
 不毛こそは豊穣のための<なにか>

 

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茨木のり子
1926 - 2006
長谷川宏
1940 -