読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

見田宗介『現代社会はどこに向かうか 高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書 2018)「世界の有限性を生きる思想」を語る

貨幣による交易がはじまり世界が無限化したときに人々は衝撃をうけ、その空気感のもとではじめて哲学と世界宗教が生まれたというヤスパースの「軸の時代」という考えの延長上で、環境的にも資源的にも限界状況に踏み込んでしまった現代は、また別の「軸の時代」を迎えつつあると見田宗介は書きしるす。そして、有限で希少な財で持続可能な世界を生きるには、価値基準の転回が必要であり、既に現実の世界ではその転回をなしつつある徴候があらわれはじめていると、各種調査データを使って例示しているのが本書の特徴である。
具体的には、物を取得していくことで欲望充足をはかっていた経済的成長段階の心性から、物に依存しないで得られる単純な幸福への回帰が特に先進諸国の若年層ではじまっているといい、その有限な世界のなかでも「永続する幸福」を著者は称揚する。

転回の基軸となるのは、幸福感受性の奪還である。再生である。感性と欲望の開放である。存在するものの輝きと、存在することの祝福に対する感動能力の開放である。
(六章 高原の見晴らしを切り開くこと 3「三千年の夢と朝の光景」p135 )

存在することの歓びを資本主義経済の濁流にのみ込まれていない自然と遊戯の楽園のなかで深く味わう。ウィリアム・モリスの『ユートピアだより』を想起させるような世界像。
現実には、自然災害や伝染病などが発生して、社会生活にちょっとした変化があらわれるだけで、こころの余裕も生活の余裕もなくなってしまう、もろいバランスの中で日々を送っているので、物に依存しない滋味に富む幸福の享受というのは夢のような話にきこえてしまうが、有限で限界にも近い世界状況というのは変わりはないので、そのなかで過ごしやすい感受性というのを徐々に養っていくのは必要なことかと思う。楽天的にはなれなくても、シンプルな喜びを否定するほど悲観的になる必要もない。

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【付箋箇所】
ⅰ, ⅲ, 12, 14, 17, 34, 122, 132, 135, 139

 

目次:
はじめに

序章 現代社会はどこに向かうか――高原の見晴らしを切り開くこと
 1 未来の消失? 現代の矛盾
 2 生命曲線/歴史曲線.「現代」とはどういう時代か
 3 グローバル・システムの危機.あるいは球の幾何学――情報化/消費化社会の臨界
 4 世界の無限/世界の有限.軸の時代Ⅰ/軸の時代Ⅱ
 5 高原の見晴らしを切り開くこと

一章 脱高度成長期の精神変容――近代の矛盾の「解凍」
 1 脱高度成長期の精神変容.データと方法
 2 「近代家族」のシステム解体
 3 経済成長課題の完了.「保守化」
 4 魔術の再生.近代合理主義の外部に向かう触手たち
 5 〈自由〉〈平等〉対〈合理性〉.合理化圧力の解除,あるいは減圧
 6 近代の理念と原則の矛盾.封印と「解凍」.高原展望
 補1 合理性,非合理性,メタ合理性
 補2 生活スタイル,ファッション,消費行動――「選ばれた者」から「選ぶ者」へ

二章 ヨーロッパとアメリカの青年の変化
 1 ヨーロッパ価値観調査/世界価値観調査.データと方法
 2 幸福の高原と波乱
 3 「脱物質主義」
 4 共存の地平の模索
 5 共存の環としての仕事
 補 〈単純な至福〉

三章 ダニエルの問いの円環――歴史の二つの曲がり角

四章 生きるリアリティの解体と再生

五章 ロジスティック曲線について
 1 グローバリゼーションという前提――人間にとってのロジスティック曲線1
 2 一個体当たり資源消費量,環境破壊量の増大による加速化――人間にとってのロジスティック曲線2
 3 テクノロジーによる環境容量の変更.弾力帯.「リスク社会」化.不可能性と不必要性――人間にとってのロジスティック曲線3

六章 高原の見晴らしを切り開くこと
 1 総理の不幸
 2 フリュギアの王
 3 三千年の夢と朝の光景
 補 欲望の相乗性

補章 世界を変える二つの方法
 1 ベルリンの壁.自由と魅力性による勝利.
 2 二〇世紀型革命の破綻から何を学ぶか.卵を内側から破る.
 3 胚芽をつくる.肯定する革命 positive radicalism.
 4 連鎖反応という力.一華開いて世界起こる.

あとがき

 

見田宗介真木悠介
1937 -