読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

オーギュスト・コント『ソシオロジーの起源へ』(原書 1854, 白水社 杉本隆司訳 2013)マルクス、ウェーバー、デュルケムも読んだ社会学の祖の著作

社会学見田宗介真木悠介)の本を三冊連続で読んだところで、社会学のはじまりを知っておくために社会学 sociologie という言葉自体の生みの親、オーギュスト・コントの著作を読んでみた。見田宗介の本にはウェーバーやデュルケムへの言及はあってもコントの名前は出て来なかったのだが、以前アランの『小さな哲学史』でオーギュスト・コントが特権的な扱いで取りあげられているときから気になっていたので、その魅力がどの辺にあるのか調査するような気分で読みすすめてみた。収録論文は『実証政治学体系』全四巻の巻末付録として合本された若き日の比較的短めの論文ということで、アランの想いにどのあたりで火が付いたのか、身をもって感じ取るまでにはいたらなかった。市野川容孝の解説によれば、オーギュスト・コント社会学を教える教師たちまでがあまり参照することもなくなった、どちらかといえば忘れられた過去の研究者に分類されてしまっている人のようで、それなら一般読者にはもっと魅力がわかりにくい思索家なのだろうと、読み終わった後の印象のあっけなさもなんとなく腑に落ちた。ただ、本人の著作を200ページくらいまとめて読んでみると、観察の重要性とそれを支える実証主義精神が最も価値あるものだと説き続けるコントの一貫性は頭に焼きついた。「三状態の法則」といわれているものの本人の表現も確認できたので、ひとまず満足としておきたい。

人間精神の性質上、われわれの知識の各部門は、まず神学的・想像的状態、次に形而上学的・抽象的状態、最後に科学的・実証的状態という、三つの異なった状態を連続的に通過してゆく人間精神の歩みに必然的に拘束されている。
(社会再組織のための科学的研究プラン 「総論」p137 )

「三状態の法則」のうち第二の「形而上学的・抽象的状態」というのが私にはわかりずらかったが、第一から第三への移行状態で、折衷的な状態、「完全に超自然的ではないが、純粋に自然的というわけでもない」、「擬人化された抽象観念」が主である状態という、後続の説明で、漠然と位置づけできるくらいまでには理解できた。アランは『小さな哲学史』のオーギュスト・コントの章で「形而上学の重大な誤りは個人主義」と述べていたが、観察をベースにした自然科学的客観精神に対して、その前段階で理性を拠りどころにした観想ベースの個人的精神という意味合いで言っているのであろうと、今回考えた。

 

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【付箋箇所】
66, 78, 137, 145, 162, 164, 180, 196, 210

 

目次:
全体の序文
意見と願望の一般的区別
一般近代史概論
社会再組織のための科学的研究プラン

解説 社会学とコント(市野川容孝)

 

オーギュスト・コント
1798 - 1857
杉本隆司
1972 -
市野川容孝(解説)
1964 -