読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

カルロス・カスタネダ『沈黙の力 意識の処女地』(原書 1987、二見書房 1990)知覚の障壁が破られるとき:理性と言語を超越する知の伝授について

社会学者の見田宗介真木悠介)がカスタネダの世界を見る瑞々しい眼差しにインスパイアを受けたと言っていることを知り、かつドゥルーズ=ガタリが「器官なき身体」を語るにあたってカスタネダを肯定的に引用しているという情報も少し入ってきたために、だいぶ期待して読みはじめてみた。これは中南米メキシコのヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファンからの呪術師の世界に関するレクチャーを綴った体験記シリーズ、全12巻のうちの第8巻。すぐ手に取ることができるのがこの巻であったための、偶然の入口。カスタネダについては、事前情報からハードルを上げすぎたぶん驚きを伴った感動のようなものは感じなかったのだが、呪術者たちが口を酸っぱくして言うところの理性と言語を超越する知の伝授についての言葉のバリエーションについては興味深く読むことができた。ほかの巻で語られている、幻覚性植物を使ったトリップ体験とか、い次元空間への飛翔体験とかというものがあまり語られていなかったのも、拒否反応を起こさずに済んだ要因であるかも知れない。はじめは人文書的な感覚で真偽にすこしこだわりながら読んでいたためもあって、受容しずらい語り口と語りの内容であったのだが、途中ネット情報で真偽のほどは不明、フィクションの可能性がきわめて高いということが分かったために、小説的な感覚で、読むスピードも若干上げて読んだ。100ページを過ぎたあたりから、こちらの調子も出てきた。

色々と比較対象が浮かんでは消えての読書だった。

・シャルル・ステパノフ&ティエリー・ザルコンヌ著、中沢新一監修『シャーマニズム』の北アジアのシャーマンについての話
井筒俊彦の神秘思想に関する論考
ピエール・クロソウスキーの小説『バフォメット』における精霊の出入り
・仏教の空観、各種禅問答
ニーチェの『ツァラトゥストラ
デモクリトスの原子論の魂への適用
ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』における意志
オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』の幻覚に関する論考
タルコフスキーの映画

たとえば上のようなものが頭をよぎっていった。

沈黙の知、世界についての直観という、言葉にならないものを言葉にしようとして、あるいは感覚を直接伝授しようとして、師弟ふたりで切りのない輪舞を踊っているような、300ページ。精神のみで成り立つ世界があるかどうかにそれほど興味はなく、呪術師の世界に触れてみたいとは思わなくても、言葉以外のなにかに関する感受性と、それについての表現は面白く読める。

自己憐憫こそが人間の悲惨の元凶であり、真の敵なのさ。自分に対する憐れみをもたなければ、人は今のようにうぬぼれてはいられなかったはずだ。一度うぬぼれの力が働くようになると、それ自身の勢いが生まれてしまう。この一見独立したように見えるうぬぼれの性格が、それに何か価値があるかのような偽の感覚をつくりだすのさ。
(第4章 精霊の来訪 「憐れみのない場所」p192 )

あやしさもあり、すがすがしさもあるちょっと変わった非日常の世界が描かれている。60~70年代のカウンター・カルチャーの中で熱狂的に読まれていたというカスタネダ。第8巻に関しては精神面の飛躍なき探究という感じもあって、熱狂していなくても観察できるようなところが今の時代にも向いている

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【付箋箇所】
67, 84, 99, 123, 131, 136, 139, 140, 149, 187, 192, 196, 237, 255, 259, 262, 267, 291, 295, 317

 

目次:
第1章 精霊の顕示
第2章 精霊のノック
第3章 精霊のトリック
第4章 精霊の来訪s
第5章 意志の要求
第6章 意志の操作

カルロス・カスタネダ
1925/31 - 1998
真崎義博
1947 -