読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

筒井紘一『利休聞き書き 「南方録 覚書」全訳注』( 講談社学術文庫 2016, 講談社『すらすら読める南方録』2003 )時を得たもてなしの心と技

モンテーニュ(1533 - 1592)の『エセー』をつまみ食いしているなか、日本の同時代人が気になったので、千利休(1522 - 1591)の語録系の著作を読んでみた。現代から遠く離れた時代の生活感を感じるとともに、茶道などの知らない分野について書かれた古典的著作を読んでみると、はじめて知る情報を得られたりして、気づきがあって面白い。和装における履物のバリエーションが利休によって一つ増えたというのは驚きだった。安土桃山の戦国時代、茶室に向かう飛石を下駄で歩くとき、その下駄を履きこなして、音まで風流に参ずる人は極めてまれで、迎え入れる機会の格段に多かったであろう茶人利休が、主人客人ともに心地よく時を過ごせる解決策として、歩みの音の問題解決とともに、履き心地と歩き心地とさらには撥水対策を向上させた雪駄を開発したということ。なかったものを発明し定着させることのできた利休は、やっぱり只者ではない。今にまで引き継がれる日本の文化ということでは、茶道が続いていることと同じくらい雪駄の定着は見事で風土に合ったものであったのだろう。

『南方録』は利休の高弟南坊宗啓が師からの聞き書きをまとめたものとされていたが、研究が進むにつれ、江戸期の発見者立花実山が当時の茶道関連の出版物から創作した利休関連本という可能性が高いということで落ち着いたらしい。著者による実山のエピソードを読むと、そんな偽書を出すのはどういう心持ちなのかとも疑念を抱いたりするけれども、現代の著作権についての考え方とは違う時代を生きた文人の純粋伝搬精神ゆえの行きすぎた愛がとらせた行為だったのだろう。今となってみれば、偽書でも無いよりはあった方がよい部類の著作。利休やその師の系列にいる武野紹鷗(たけのじょうおう)が茶を通して語る「わび」の精神のおおもとの部分を伝える功績は、称えられるべきものであっても貶されるべきものではない。
本文、現代語訳に加えて筒井紘一の解説もちょうどよい。専門系の文書のいい部分を拾ってきて自然な浸透圧でエッセンスの注入に努めているのが感じられて好感が持てる。

紹鷗はみずからの茶の志向を「わび」にありとし、「わびとは正直につつしみ深くおごらぬさま」であるといって、我慢・我執のない姿こそがわびである、と規定した。
(二五、二六 解説 p128 )

茶道の本質はおもてなし道で、今に伝わる点前の所作は、室町から安土桃山当時の生活文化のなかでの客へのもてなしが凝縮された姿で、二十一世紀の水道ガス電気の社会インフラがない時代であるからこそ、心にしみる文化作法であったろうと想像される。炭継ぎの点前など、今の時代、部外者からみれば、好事家たちの狭い世界での美意識の競い合いが強く臭ってしまうようなものになってしまっているが、ガスも電気もないなか炭でお湯を沸かすのが日常であった当時の食に関わる文化の中では、より自然な、日常と地続きな行為であり、そうであればこそ、より感覚に訴えかけるもてなしの行為であり、もてなされる側の鑑賞の行為になっていたのあろうと思われる。

茶道には夜会があり、そこでは懐石料理が提供されるというのも、素人にとっては新たな情報であった。そして、そこで出される懐石料理について、「懐石」という言葉がはじめてつかわれたのが立花実山の『南方録』においてであったというのも、禅との関係性にも自然に目を向けさせてくれて、茶と禅の世界にぐっと近づけさせてくれる。「茶禅一味」ということに、本書を読みながら馴染ませてくれている。

禅僧が座禅の際に懐に抱く温石(おんじゃく)は、胃の腑にあたかも食事をしたかのごとく感じさせる疑似体験の石であったといえるが、一汁三菜の茶会料理を懐石という語にかえて表現したのも驚くべきことだといえなくもない。茶会料理をはじめて”懐石”と表現したのは、立山実山の『南方録』においてであった。
(二一 解説 p110 )

『南方録』の実作者立花実山は所属藩の跡目争いの政争に巻き込まれて、蟄居惨殺されてしまった不幸不運の人であった。ものを書くのも禁止され、筆記の道具もない幽閉生活の中で、血やつまようじを使ってまで自分の想いをどうにか書き留めていたという日記「梵字艸(ぼんじそう)」も機会があったら是非読んでみたい文章だ。

 

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【付箋箇所】
21, 56, 61, 73, 102, 110, 128, 132, 156

 

目次:

学術文庫版まえがき
序文

 一 宗易ある時、集雲庵にて茶湯物語ありしに
 二 宗易へ茶に参れば、必ず手水鉢の水を
 三 宗易の物がたりに、珠光の弟子、宗陳・宗悟と
 四 客・亭主、互の心もち、いかやうに得心して
 五 露地に水うつ事、大凡に心得べからず
 六 露地の出入は、客も亭主もげたをはくこと
 七 小座敷の花は、かならず一色を一枝か二枝
 八 花生にいけぬ花、狂歌に、花入に入ざる花は
 九 夜会に花を嫌ふこと、古来の事なりしを
一〇 或人、炉と風炉、夏・冬茶湯の心持、極意を
一一 暁の火あいとて大事にす。これ三炭の大秘事
一二 惣じて朝・昼・夜ともに、茶の水は暁汲たるを
一三 易云、暁会、夜会、腰掛に行燈を置くべし
一四 易云、雪の会は何とぞ足あと多くならぬやう
一五 雪の夜会には、露地の燈籠は凡とぼすべからず
一六 ー深三畳と、長四畳、根元を分別すべし
一七 小座敷の道具は、よろづ事たらぬがよし
一八 名物のかけ物所持の輩は、床の心得あり
一九  掛物ほど第一の道具はなし
二〇 小座敷の料理は、汁一つ、さい二か・三つか
二一 飯台はつくゑのごとくして
二二 葉茶壺、小座敷にもかざることあり
二三 捨壺といふ事あり。小嶋屋道察に真壺を 
二四 風炉にて炭所望して見る事なし
二五 つるべはつくばひて下にをき、その所を
二六 真の手桶は手を横に置、つるべは手を竪にをけ
二七 不時の会には、いかにも秘蔵の道具など
二八 小座敷の花入は、竹の筒、籠・ふくべなどよし
二九 めんつのこぼし、とぢ目を前にせよ
三〇 せい高き茶入は袋を下へ、ひきゝ茶入は
三一 野がけ・狩場などにて茶会を催すことあり
三二 野がけは就中、その土地のいさざよき所にて
三三 紹鴎わび茶の湯の心は、新古今集の中
三四 右覚書、心得相違も候はゞ 

『南方録』はどんな本か
 立花実山の獄中日記『梵字艸』
 『南方録』の出現

あとがき
学術文庫版あとがき
参考文献


千利休
1522 - 1591
立花実山
1533 - 1592
筒井紘一
1930 -