読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

『文選 詩篇 (五)』(岩波文庫 2018)書類に沈む人生と詩

第五巻は楽府、挽歌、雑歌、雑詩を収録。雑歌、雑詩に於いて詩に詠われるもののバリエーションが増え、具体的な日常の様子が詠いこまれるものも現われる。1800年前の事務職従事者の憂いと詠嘆は、今の時代と何ら変わらない。変わってもよさそうなものだが、変わらない。

劉楨( ? - 217 )

雑詩

職事相填委
文墨紛消散
馳翰未暇食
日昃不知晏
沈迷簿領書
回回自昏亂
釋此出西域
登高且遊觀
方塘含白水
中有鳬與雁
安得肅肅羽
從爾浮波瀾


職事(しょくじ) 相(あ)い填委(てんい)し
文墨(ぶんぼく) 紛として消散す
翰(ふで)を馳せて未だ食らうに暇あらず
日昃(かたむ)くも晏(いこ)うを知らず
簿領(ぼりょう)の書に沈迷し
回回として自(みずか)ら昏乱す
此(これ)を釈(す)てて西域(せいじょう)を出(い)で
高きに登りて且(しばら)く遊觀(ゆうかん)す
方塘(ほうとう) 白水を含み
中(うち)に鳬(ふ)と雁(がん)と有り
安(いずく)んぞ粛粛たる羽を得て
爾(なんじ)に従いて波瀾(はらん)に浮かばん

岩波文庫では読み下し文は総ルビ

【意訳】
書類に埋もれ食事も休憩もまともに取れない。ちょっと逃避して高台から池を眺めると水鳥が浮かんでいる。できれば私も波に揺られていたいなあ。

【感想】
あまり忙しくなければ書類やプログラミングコードのなかで揺られていることもそんなに悪いことではないような気がしている。問題なのは時間(あるいは金)に追われる状況にはまってしまうこと。私自身は時間があればソファーベッドに寝転がりながら本を読んでいるのだから、他の人からみればやっていることの中身は仕事も余暇もそんなに変わらないので、劉楨の詩を読んで好いなと思いながらも、どこかの湧水公園とかに散歩に出かけるわけでもない。自分用にどう変換したらもっとしっくりくるだろうかと思いながら、違った表現に出会うために次々新しい文書に手を伸ばしている。今日の夕飯は白飯焚いて味噌汁と焼きサバかなあなどと思いながら。
※たまに今日は半分猫になると思いたって、なるべくニャーという言葉以外浮かんでこないようにして過ごすことはある。

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【付箋箇所】
陸機 君子行
陸機 塘上行
陸機 挽歌詩三首
古詩十九首
劉楨 雑詩
曹植 雑詩六首

※第五巻は全般的になじみやすく、読み返しやすい。
※第五巻には李陵と蘇武の詩が収録されているので、なんとなく中島敦の「李陵」を読み返してみたくなる。実際、読み返した。「山月記」と「文字禍」と「和歌でない歌」も併せて青空文庫で読んでみた。エモい。中年の心に刺さる。
ウィキペディアでは中島敦の「李陵」の典拠として、『漢書』(「李広蘇建伝」「匈奴伝」「司馬遷伝」)、『史記』(「李将軍列傳」「太史公自序」)、『文選』(「答蘇武書」「任少卿報書」)を挙げているので、すこし覗いてみようかとも思っている。
※文選の李陵と蘇武の詩は中島敦の「李陵」で描かれている時期よりも前の若き日の交流が詠われたもので、後代の人の手になる偽作でもあるが、李陵と蘇武の関係に思いを致すのにはよい資料である。