宮下規久朗の著作を読むに関しては、不純な動機が働いている。
予期せぬ時期に、突然準備なしに愛する娘さんを失って、中年にいたるまで本人を突き動かして来たであろう人生や仕事に対する価値観が、一変に崩れてしまった一表現者の仕事。現代の日本美術界においては、頭が切れ、文章にも個性を感じさせてくれていた俊英の表現に、不意に現われた思いもよらぬ感性の変容。その事件の現場があると賤しい臭覚に連れられながら、不謹慎にも本を手に取り読み進めることで、ある特別な時間を共有させていただく。
まったく一方的ではあるのだが、著者の心の動きにすこしでも寄り添うことで、鎮魂の分与にあずかり、自分自身のうちにある禍々しいもの・孟々しくあるなにものかを鎮めるための機会をいただく。別世界紀行というよりも、見慣れていると思っていた世界への再確認の旅のなかで、ひと時たゆたう。奥行きや表面の輝きに、陶然として絵画に一瞬入り込む。上手下手よりも画面上に現われる一回性の精神の動きのみずみずしさに反応する鑑賞眼に信頼をおいて、同じ角度で見ることを共有する。
何かを表現しているかぎり、人は人であり続ける。生きるか死ぬかの瀬戸際になっても、表現することで自分を保つことのできる人が大勢いることが感じられ、美術という営みの根源にふれた思いがした。
(第13話「釜ヶ崎の表現意欲」 p100 )
大阪あいりん地区の日雇労働者や路上生活者の表現について書かれた文章。
生きる力に純粋に反応しているとともに、美術史内での評価の厳しさにふれてもいるところが、切れ味が良い。私生活における悲しみのなか、放心気味の叙述のなかにあっても、ここでは特に美術史家としての職業倫理がきっちり示されていて、好感が持てる。個人の感情と、美術史的な評価の基準はあくまでも別。公開記事を書くならば、最低限の慎みは厳然としてあるということを本書は全篇にわたって示してくれていると思う。
※美術全般に興味を持つ人のアプローチの仕方としては『モチーフで読む美術史』シリーズが常道。分類がうまく整理がされている。
目次:
まえがき
プロローグ 美術館の中の男と女
第 1 話 亡き子を描く
第 2 話 供養絵額
第 3 話 子供の肖像
第 4 話 夭折の天才
第 5 話 人生の階段
第 6 話 清貧への憧れ
第 7 話 笑いを描く
第 8 話 食の情景
第 9 話 眠り
第 10 話 巨大なスケール
第 11 話 だまし絵
第 12 話 仮装
第 13 話 釜ヶ崎の表現意欲
第 14 話 刺青
第 15 話 一発屋の栄光
第 16 話 コレクター心理
第 17 話 自己顕示欲
第 18 話 ナルシシズム
第 19 話 ナチスの戦争画
第 20 話 官展と近代のアジア美術
第 21 話 日本の夜景画
第 22 話 折衷主義の栄光と凋落
第 23 話 三島由紀夫
第 24 話 琳派とプリミティヴィスム
第 25 話 白い蝶
エピローグ 美術の誘惑
あとがき
宮下規久朗
1963 -