読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分 ―普遍経済学の試み』(原書 1949, 二見書房ジョルジュ・バタイユ著作集第六巻 生田耕作訳1973)余分なものの活用のしかたについての考察

普遍経済学三部作の第一作。断片的エッセイが多いバタイユの作品にあって、珍しく体系的な構造をもった作品。前日の見田宗介現代社会の理論』や、ロジェ・カイヨワ『聖なるものの社会学』など、生産と消費のサイクルについて論じられる場合によく参照引用されている。

全体として社会は常にその存続に必要である以上に生産し、超過量を処分する。社会を決定づけるものは、まさしくそれらの使用法である。すなわち余剰が動揺の、構造変化の、さらには全歴史の原因なのだ。
(第三部 歴史的資料(二) 軍事企業社会と宗教企業社会 [二] 非武装社会―ラマ教 七「ラマ教の経済的解明」 p144 )

人間社会において生存以上に生産された剰余物のつかい方を、バタイユは古代アステカ社会の供犠と戦争、インディアン部族間のポトラッチによる誇示的消費、草創期イスラム教圏の軍事への転換、ラマ教圏での無産階級たるラマ僧の多量登用、カソリック圏でのでの教会運営と祝祭での消費、プロテスタンティズムでの禁欲と再投資、資本主義経済での資本蓄積と歴史的にたどっていく。作品が刊行されたのは第二次世界大戦終結して間もない一九四九年なので、まだ大量消費社会、情報化社会は出現していない。ソビエトの勢力が上り調子の時期で、グローバルな経済圏というものもできていない。しかしいつの時代にあっても過剰に生産されたものはあり、それを非生産的な消費でいかに処理するかという問題が提起されている。
二十一世紀の現在において、大量生産大量消費はまだ進行発展しながら、資源枯渇と大量廃棄物の処理限界問題を引き起こしている。そのため、問題対応に向けて余剰分の生産物が振り向けられるようになってきている。こちらは物質的な世界での動向。もう一つの世界としてグローバルなネット社会が超高速でもたらした情報の大量生産と大量消費の世界。こちらは非物質的な世界の急速な拡大による変化の真っ最中。情報リテラシーに関する問題、精神衛生に関する問題、倫理性や美学的な問題が吹き出してきている一方、問題と表裏一体にあるまだ見ぬ可能性に期待がかかる。バタイユを引きながら現代の限界社会の転回を語った見田宗介は、この可能性にかけて思索をいま現在も続けているようだ。
バタイユのこの著作では部族や国家のおおきな社会のレベルでの話が展開されており、その線上で二十一世紀の超過生産物の処理の方向性というものは、はっきりした形ではまだ現れていないと思う。特に非物質的な情報の領域では、社会を構成する大きな組織のレベルにおいては、まだまだ新テクノロジーの開発とともに情報の原始蓄積を行っている段階のように感じる。その大きなレベルでの決定に一般市民層レベルで介入することは難しいかもしれないが、現在も日々営まれている情報化社会での個人レベルでの入出力に関しては不調をきたさない範囲で行動をとっていくよう心掛けたい。

 

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【付箋箇所】
12, 93, 99, 103, 116, 119, 144, 160, 166, 171, 219, 271, 279

目次:

緒言

第一部  基礎理論 
 一 普遍経済の意味
 二 普遍経済の諸法則

第二部 歴史的資料(一) 消費社会 
 一 アステカ族の供犠と戦争
 二 対抗的贈与(「ポトラッチ」)

第三部 歴史的資料(二) 軍事企業社会と宗教企業社会
 一 征服社会―イスラム
 二 非武装社会―ラマ教

第四部 歴史的資料(三) 産業社会 
 一 資本主義の起源と宗教改革
 二 ブルジョアの世界

第五部 現代の資料 
 一 ソヴィエトの産業化
 二 マーシャル計画

消費の概念(1933)

 

ジョルジュ・バタイユ
1897 - 1962
生田耕作
1924 - 1994