読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

オリヴィエ・コーリー『キルケゴール』(白水社文庫クセジュ 1994)異質な世界を観ている人の世界観への案内

歴史に残る偉人というものは、凡人からみればみな変態で、消化しきれないところがあるからこそ意味がある。異物感、異質感。複雑すぎて味わいきれないニュアンス、踏み入ることのできない単独性を帯びた感受性の領域を持つ人間の観ている世界。おそらく消化しきれないまま何度も反芻する時間の経過に中に、他者キェルケゴールが経験するであろう感覚世界と己の感覚世界の唯一無二の微かなアレンジメントが積み重なり、その時間の蓄積の先に呼びかけの対象として盟友「キェルケゴール」が生まれてくる。なかなか複雑なキェルケゴール、まだ呼びかけの対象となるにはいたってはいないが、お試し期間はこちらの向き合う意志がくじけない限り継続していくことができる。生身の人間にはない書物ベースの情報交換世界の利点のひとつ。

アイロニー」と「フモール」(ユーモア)の差異について興味はあるものの、キリスト教受肉と贖罪の信仰の世界をベースに思索の世界が語られているとなかなか近寄れないが、書物を媒介としての間接的な思想の交流の世界では、宗教的存在としてのイエスを相対化しながら、構造を浮き出させてくれている。

アイロニーが、審美的なものと倫理的なものとおあいだにあり、厳密にいって、そのどちらの段階にも属さないような「動揺」(Svaevning)であったのと同様に、フモールは、倫理的なものと宗教的なものとの境界であり、『あとがき』では宗教性A(倫理的なものとの連なりのなかにあるもの)と宗教性Bとのあいだに置かれている境界である。フモールとは、キリスト教的な宗教を前にして尻込みしてしまう倫理的なものの挫折の意識である。
(第5章 実存の諸段階 Ⅳ 宗教的段階 4「フモール[諧謔]」p135-136 )

「宗教性A」、「宗教性B」などという、日常的な用語で区分できない世界を切り分けたうえで、活動する必要があるとするキェルケゴールと一般的市民との間には大きな差異がある。その差異をまず感じるところから、別世界への道筋が開けてくる。

本書は、小さいながらキェルケゴールの世界全般を対象にした、とても読み応えのある、複雑な書物であった。

 

【付箋箇所】
44, 69, 71, 72, 745, 83, 85, 88, 92, 95, 106, 121, 135, 139

目次:
第1章 生涯と著作
第2章 著作とその伝達
第3章 実存の思想
第4章 総合としての実存
第5章 実存の諸段階

オリヴィエ・コーリー